雷龍の国ブータンへ
 
平成18年10月18日

 9月24日、家族との別れを惜しみながら、ガラス越しに見えなくなるまで手を振り、一路ブータンへと旅立った。期待はあまりなかったが、大きな不安を抱え機中の人となった。バンコクで1泊し、翌日早朝デュルック・エアーでブータンのパロ空港に向け再び飛び立つ。1時間遅れである。何のアナウンスもない。しかも搭乗口が変更されている。荷物は重量オーバーで1万円ほど徴収される。手続にやたらと時間がかかる。ブータンペースの洗礼を早くも受けたようだ。パロ空港は小雨。空港らしからぬ豪華な装飾と軒飾りの付いたブータン特有の建造物である。ブータンに来たという実感が湧いてきた。JICAの出迎えを受け、首都ティンプーに向かう。山間に田んぼが棚田のように連なり、日本の農村風景を思い出させる。これもダショウー西岡の功績かと見とれる。暫く行くと土砂崩れの修理のため1時間待たされる。道端では牛が草を食んでいる。時間がゆっくり流れ始めてきた。カーブカーブで腸捻転を起こしそうだ。いろは坂なんてもんではない。酔いも伴いグロッキー状態でティンプーに到着。夜はブータンキッチンというレストランでブータン料理の洗礼を受ける。アラというブータン焼酎も飲んでみた。みなそれほど抵抗感はなかった。標高2,400mと旅の疲れとちょっぴり緊張感も手伝って、泥酔状態でブータンの最初の一夜を過ごした。

  


 首都といっても、誰かが「山間の温泉町のようだ」と言ったそうだが、言いえて面白い。そんな小さな町である。1日歩けばほぼ見終わってします。しかし山間の町、しかもこの標高、ちょっと歩いただけで息が切れる。夜は犬の遠吠え、ワンワンコーラスに悩まされる。こんな退屈な日々を1週間過ごし、目的地ジャカールに向かう。ブータン中央部にあるブムタン県の県都である。県都といっても人口は1万足らずだ。2,000m上り3,000m下る。尾根越えである。その都度植生が変わり、針葉樹林から広葉樹林へ、上着を脱いだり着たり忙しい。1日に、春夏秋冬を味わっているようなものだ。これを3回ほど繰り返すと漸くジャカールだ。ティンプーから260km、9時間の行程である。途中で赴任先の所長の出迎えを受ける。まだ37歳だそうだ。しかも博士とのこと。なかなかの紳士である。早速英語の苦汁を味わう。時間がタイムスリップしたような町だ。メインストリートには悠然と牛が歩く。犬が寝ている。小屋のような家が立ち並ぶ。砂埃が立てば、馬車こそないが西部劇の決闘シーンを思い出させるような雰囲気だ。ホテルは薪ストーブ、しかも停電。そのたびにろうそくに火をつける。テレビもない。ラジオもない。あるのは満天の星と深い闇、そして奈落に落ちたような静けさだ。これから10ヶ月ここで過ごすと思うと不安と憂鬱が渦巻き、逃げ出したいような衝動に駆られる。こうしてジャカールの1夜が明けた。

 出勤初日。ネクタイスーツで正装し、緊張の面持ちで事務所に向かう。素晴らしい事務所だ。まるで王宮のような建物で、聞くとジャカール一二の立派なものだ。役人天国の感がある。しかも職員が整列して出迎えてくれる。片言の英語で自己紹介をする。冷汗ものだ。それから宿の手配やら食事、大変な気の使いようだ。しかも応接セット付の個室を与えられる。皆親切で礼儀正しい。中に日本に3年間、きのこの研究で行っていた人がいた。名前をドルジという。マッシュルーム先生と呼ばれている。初顔合わせのときは全くそのそぶりを見せず英語で通していたが、実は日本語がぺらぺらである。これで大分気が楽になった。地獄に仏とはこのことである。毎日このきのこ先生に「お早う」と挨拶してから自分の部屋に入ることにしている。幸い私の向かいの部屋だ。自分で選んで飛び込んだ道だ。後戻りは出来ない。何となくやっていけそうな予感がしてきた。「渡る世間に鬼はない」何とかなるものだ。このブータンの彼らのために頑張るぞという勇気が湧いてきた。





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