国王生誕祝賀会
 
平成18年11月11日

 昨夜からの雨が雪に変わり、山は真っ白な雪化粧である。11月11日はワンチェク国王の誕生日だ。国王の正式名称はドゥク・ギャルポ、すなわち「龍の国の王」という意味だそうだ。タシ所長が7時半に迎えに来る。一昨日、民族衣装の縫製工場からタシの紹介で男性衣装「ゴ」を買ったばかりだ。オール絹、大枚220ドルをはたいて買ったものである。観光客相手の店で買えば、2〜3倍はするとの言葉にだまされて、最高のものを買ってしまった。タシの手助けでゴを着る。裾をひざの辺りまでたくし上げ、ケラという兵児帯で強く締める。呼吸するのも辛いほどだ。中にはチュゴという白襦袢のようなものを着る。袖を折り返し、襟を少し出す。この白襦袢の出し具合が身分によって違う。位の高いものほど多く出すそうだ。程ほどに調整してもらい、ラムという靴を履き出来上がりである。最早心までブータン人、顔は既にブータン人だ。9時半開会というのに、タシは気が早い。会場は町のサッカー場だ。まだ人はまばら。入り口から貴賓席まで松葉のじゅうたんが敷き詰められている。向かいはジャカール・ゾン、山は2度目の冠雪。舞台は整った。

 ラマ大僧正を先頭に県知事、国会議員の来場である。国会議員はこの町ではただ1人。貴賓席の中央に鎮座。大僧正の右は県知事、左は国会議員。座る位置はいつも決まっている。大僧正はオレンジ色のカムニ、知事は赤、国会議員は緑。ランクがある。カムニとは袈裟のようなもので、公式の場の必需品だ。私は白のカムニをつけ、タシと貴賓室の末席に座る。知事夫人と議員夫人が遅れてやってくる。タシ、素早く席を空け、席を譲る。議員夫人の子を抱っこし、こともあろうに最前列のその議員の脇に座ってします。なかなか要領がいい。将来の次官か大臣であろう。小・中・高の生徒がそれぞれ5色の旗を掲げ入場行進。

「A Man's Wisdom Makes A Nation Sustain」(学問は国の支え)という横断幕もある。写真を撮ろうと、タシに負けず最前列の席を確保する。 いよいよ開会である。ブータンには国歌はないが、それらしき歌を女性コーラスにあわせ、国旗掲揚だ。続いて坊さんによる読経、これが何ともブータンらしい。知事の挨拶、大僧正の挨拶と続く。スイス人オーナーがゴに身を固め、やってくる。チーズ工場とブータン唯一のビール会社レッド・パンダのオーナーだ。スイスはかつてブータンに相当の援助をしていたようだ。我が立派な事務所もスイスの支援で出来たものだ。今はスイスファンドも底をついたようだ。警察署長の指揮で「国王万歳」。多分そう言っているのだと思う。両手を挙げるのではなく、右手だけを上げる。ヒットラーのようだ。例の如く、バター茶とご飯が振舞われる。それからは踊り、踊り、踊りである。スピーカーが時々故障する。音が割れる。犬がグランドの特等席で寝そべってみている。 

 今日は生徒か主役だ。「エーサ、エーサ」とお猿のかごやの様な歌もある。子供たちは男女ペアで新しい音楽とダンスが取り入れられている。新しい風も吹いているようだ。タイコンドーも披露された。韓国がこの普及に力を入れたとのことだ。高校生による仮面舞踊もある。当然、ペニス棒を持ったジョーカーこと、アツァラはいない。突然、来賓参加ゲームなるものがマイクで放送される。レンガ渡り競争だ。しかもペアで。知事は大きなお尻のスイス女性をペアに選んだ。やむなく私は知事夫人をペアに選ぶ。私がレンガを1つずつ前に移動する、知事夫人がそれを渡っていく。単純なゲームである。知事夫人も体が重い。残念ながら後から数えたほうが早かった。

 いよいよ表彰式。大僧正から金一封が渡される。礼をし、男はカムニで受け取る。女はカムニに変わるラチュという肩掛けのようなもので受け取る。なかなかいい感じだ。最後は参加者全員で例の民族舞踊である。何かある度に踊らされているので、盆踊りのつもりで参加した。それにしても祝賀会なのか運動会なのか分からないような催しであった。足はタイツだけなので股間にまで寒さが染みとおる。草むらでタシと並んでおしっこだ。しかし、タイツの前が開いていないので、出すのに一苦労だ。
 昼食はホテル。大僧正、知事、国会議員の席は常に決まっている。後は身分の高そうな人から、それらしいところに座る。食事の順番も、である。タシが比較的名士であることもあり、私がはるばる日本から来たということもあって、常に上座に座らされる。アルゼンチンで教わった「遠慮することは、遠慮したほうがいい」との精神で、厚かましく振舞っている。これが好評でもある。食事の後は「ゴマ」という何の実だか解らないものにライムを練ったもの付け、何の葉だか解らない葉っぱに包んで食べる。これを食べると、体が暖かくなって好いのだそうだ。彼らにとっては、タバコのようなものなのかもしれない。しかし、口や歯を赤くして噛んでいるのは、感じが好いとは言えない。また、踊りである。知事夫人が「月が〜、出た出〜た」と炭坑節の一節を口ずさむ。踊りは生活の一部のようだ。

 初めての民族衣装「ゴ」の試着であった。皆は最早ブータン人だといってくれた。昔、子供のころ、つんつるてんの着物を着ていたことが思い出された。日本の着物にしろ、ルーツは同じである。我々は洋服に変わってしまったが、彼らはこの民族衣装を日常的に着ている。世界が洋風化、アメリカ化する中で、この民族衣装や伝統文化をしっかりと守っているブータン人に敬意を表すると共に、自然と文化と開発の調和が取れた発展を望まずにはいられなかった。
 この国にいる限り、公式行事にはスーツは止め、ゴを着ることを心に誓った。



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