RNR−RCモンガル落成式
 
平成18年11月20日

 RNR−RC(自然資源開発センター)モンガル事務所の落成式に出席するため、モンガルに向かった。RNR−RCは全国に4ヶ所ある。ティンプーとワンディー、ジャカールそしてモンガルだ。それぞれの地域を統括すると同時に、作目別に全国を統括している。モンガル事務所はブータン東部6県と園芸作物が担当だ。因みに我がジャカール事務所は、中部4県と畜産が担当である。そして、この4事務所を統括するのが農業省RNR−RC局だ。

 ジャカールでRNR−RC局長のペマ博士と次長のプラダン、それにワンディー所長のノルブ博士をタシ所長と出迎える。何とティンプーを朝5時に出発したとのことである。昼食を済ませ、プラダン次長の運転で出発。このプラダン、ネパール系でなかなかハンサムだ。ネパール系は目鼻立ちがはっきりして、比較的美男美女が多い。トヨタのランドクルーザーなので坂道には問題ない。しかし5人乗ったので窮屈だ。
国道1号を東へ向かう。アルプス景観のウラを過ぎるとヘアピンカーブも多くなり、その都度右へ左へとドアに押し付けられる。モミの森林を、次第に高度を上げていく。途中でペマ局長に運転を変わる。腕に覚えがあるようだ。急カーブをさらにスピードを上げていく。所々に雪が残っている。足元が冷えてくる。窓ガラスも曇り始めた。車の高度計が3750mを表示している。トムシン峠である。東西を横断する国道1号の最高地点だ。残念ながら曇天。晴れていればヒマラヤが望めるところだ。チョルテンを回り、高度を下げていく。石楠花の群生地がある。30種ほどはあるという。春は赤白黄色に咲き乱れ、それは美しいとのことだ。雲が横に見える。雲中ドライブである。しかし見下ろせば切り立った崖。これといったガードレールもない。ハンドル捌きを誤れば、千尋の谷底だ。生きては帰れない。足に力が入る。つり革を握る手にも力が入る。局長、スピードを緩めない。60キロ近いスピードだ。車をきしませ、スリルを楽しんでいるようでもある。「セイフティー・ドライブ」と声をかけても、いっこうに聞き入れない。他の連中も平穏な顔をしている。怖がっているのは私だけだ。恐怖感でおしっこもたまり、トイレタイム。雲間からモンガルの町が見下ろせた。仙人の気分である。

 ここでまた運手が変わるだろうと期待したものの、引き続き局長の運転。この難所は他人には任せられないといった雰囲気だ。後で聞いた話だが、この局長、モンガルの出身である。道には慣れている。しばし下ると、滝が道路に落ち込んでいる。落差はおよそ100m、素晴らしい景観だ。ナムリン滝というそうだ。下っていくに従い、植生が変わっていく。木性シダ、野生のバナナ、亜熱帯の気配だ。そこはリンメタンという村である。標高720m、3000m下ったことになる。6時、陽はとっぷりと落ちている。ぼやっと暖かい。最早夏だ。ここにモンガル事務所の出張所がある。青年ボランティアの茶野さんが出迎えてくれた。お茶を一杯ご馳走になり、さらにモンガルまで20キロ、ジグザグと1000m登る。山腹に蛍火のように灯りが点々と灯っている。夜空の星に繋がっているようだ。思わず「ファンタスティック」と叫んでしまった。6時間の行程であった。建物が立て込んでいて、大きな街の雰囲気。ホテルもなかなかのものである。何しろテレビが置いてある。しかもNHKか映る。今までテレビのあるホテルに巡り会ったことがない。何やらいやな臭いがする。それらしいものは見当たらない。靴の裏を見ると、犬の糞。運が付いたのか運のつきなのか、いやな歓迎である。食事を部屋に運んでくれたので、一汁一菜のご飯を食べながら2ヶ月ぶりにテレビを見た。北朝鮮の拉致問題、APEC、狂犬病などが放送されていた。一時帰国をしたような懐かしい気分になった。

 久々にパンとコーヒーで朝食を取る。道路にはゴを着たブータングループ、ターバンを巻いたインド系グループ、それに朝から寝転んでいる犬グループがいた。妙な感じだ。山の稜線に村が広がっている。今まで見た町は川沿いに開けていたが、ここは違っている。山の上へ上へと伸びている感じだ。8時半の迎えが9時半になる。几帳面なタシにしては珍しい。十分に山の上なのに、さらに山の上へ登っていく。余程山の上が好きなのだろう。出来立ての道路を、埃を立てて登っていく。頂上の広場に式典の用意がされている。今日は道路の竣工式のようだ。農業大臣ニェデゥプが来て、村人を集め何やらやっている。回りを大勢の人が取り囲んでいる。私もその1人だ。いよいよ食事。前へ前へと進められ、ついに大臣の前へ。強い握手を求められる。思ったよりごつごつした手だ。何となく居心地が悪い。エスコート役のタシは末席で食べている。聞くとこの大臣、何と国王の奥方の兄とのこと。しかも前首相でもある。ブータンでは4人まで奥さんを持てる。国王も4人の奥方を持っている。しかしこの奥方4人姉妹である。ということは、この大臣の4人の妹ということである。恐れ入った。奥さんを複数持っている人は、私の知る限りではいない。羨ましい話ではあるが。この国には大臣が10人いる。首相はこの10人の持回り制だ。午後はホテルで寛ぐ。夜はタシの友人宅で車5人組、夕食の接待を受ける。

 朝方、犬の鳴き声で目を覚ます。表がやけに騒々しい。見下ろすと朝市が開かれている。朝食を済ませるとタシがやってくる。民族衣装ゴの着付けのためだ。まだ1人では着られない。着せ替え人形のようなものだ。
正装して落成式会場に向かう。9時集合である。会場スタッフは4時から準備していたとのこと。9時40分、大臣が護衛付で、しかも車を連ねて東部6県の知事を従えて登場である。音楽と踊りで迎える。なんとも仰々しい。国旗掲揚、読経、そして落成の習慣的行事が行なわれる。続いて事務所棟に入り5色の米を撒きながら読経、手に持てないほどのお菓子や果物が配られる。今回は特別に5ニュルタム紙幣まで頂く。これが1時間。また落成式会場に戻り、ペマ局長の歓迎の挨拶、農業大臣の式典挨拶。その後、例の如く民謡、民族舞踊、仮面舞踏と続き、なんと1時間半。最後は全員参加で盆踊り大会である。昼食後農場を視察。終了は4時であった。

この建物や農場の整備費用は日本の援助によって出来たものである。昨日の道路も日本の支援だそうだ。それにしても5年前までは、ここは原野だったとのこと。富安さん始め3人の専門家の努力によって完成したものだ。整備された棚田や段々畑に稲、野菜、果物が栽培されている。しかも農機具が入れるように農道も整えられている。ブータン東部6県の期待は大きい。富安さんは以前12年間ネパールで同じ農業指導をしていたとのこと。同じ専門家の田中さんは南米ボリビアで通算15年指導に当たったとのことだ。筋金入りである。私のようなたった10ヶ月、ちゃらちゃら仕事だか遊びだか解らないようなのとは大違いだ。

6時半から晩餐会だ。イタリアの青年マルコと会う。彼は森林開発で来ているようだ。イタリア人らしからぬ控えめな青年だ。母親はイタリア人だが、父親はイギリス人。父親に似たのであろう。両親はローマ在住とのこと。インド人も6人ほど参加した。インドの支援で病院建設に携わっている人たちだ。例の如くまた民謡だ。大臣が退屈そうにしているのを見計らい、肩を組んで写真を1枚。ブータンではあるまじき行為であるが、大臣はことのほか感激していた。マルコと「ブエナ・ノーチェ」とスペイン語で別れ、ホテルに着いたのは10時であった。
朝6時、ペマ局長はさらに東、タシガンへ。我々は運転手付でジャカールへ。ペマの恐怖の運転を味わわずにすんだ。右に左にきついゆりかご状態でジャカールに戻る。ジャカールは小雪混じりの寒さであった。ボカリをがんがん燃やし、ビバルディーを聞きながら眠りに就いた。

 


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