天空の村ゲドゥ

平成18年12月25日

 ティンプーの南、インドと国境を接するチュカ県のゲドゥでRNR−EXPOが開催される。参加と視察を兼ねてゲドゥへ向かった。
 3つの峠を越え、ティンプーまで9時間。1夜の宿を取りゲドゥへ。ティンプー川沿いを下る。街路灯付きの片側2車線の整備された道を進む。まるで高速道路だ。こんな綺麗な道路に今までお目にかかったことがない。インドと空港に向かう幹線道路だ。しばし走るとまたもやがたがた道。道路拡張工事の真最中。今ブータンは高度成長真只中。町は建設ラッシュ、古いブータンから新しいブータンに変わろうとしている。役人の給料が今年は9%アップしたそうだ。昨年はなんと45%上がったという。しかし5年間据え置かれたと聞いて納得したものの、おびただしいベースアップだ。成長の加減が解るというものだ。工事のため度々通行止め。その度に物売りがやってくる。道端では果物、野菜、菓子、飲物、日用雑貨が並び、まるで市場のようだ。谷が開け、河岸に水田が広がる。道路工事は延々と続く。インド系の労働者が多い。老若男女、埃にまみれ、仕事は石砕きである。道路に敷き詰める砂利を作るためだ。川沿いには掘立小屋、職住一体だ。子供を背負って石砕き、女は強い。暑い。最早シャツ1枚で十分だ。
やがて川沿いから山道に入る。ブータンらしい千尋の谷、万丈の山に変わっていく。谷底に沈んだように県都チュカの街が見える。あちこちに滝が見える。まるで山がおしっこをしているようだ。箱根の比ではない。母馬が打たれるのを見て声をあげ、仙人になれなかった杜子春を思わせる仙人峡だ。空中道路をくねくねと登っていく。遙か山肌に忽然と町が現れる。天空の村ゲドゥだ。目を疑う光景だ。ブータン人はまさに天の民というべきか。想像を絶するところに町がある。
小さな村だ。しかし1985年に大きな製材工場が出来、ブータン有数の産業の町になった。今はブータン最大のタラ発電所の建設基地として、インド人技術者が多く住み着いている。なんとも不思議な雰囲気の町だ。その製材所の寄宿舎に宿を取ることになった。いやな臭い。シーツと枕カバーは醤油で煮しめたような、しかも湿っぽい。お湯はふんだんに出るが、バケツが用意してあるだけ。シーツと枕カバーは変えてもらったが、臭いだけはどうにもならない。同行のインド人博士は翌日そそくさとプンツォリンへ逃げ出してしまった。
EXPOの開幕だ。とにかくセレモニーが盛大である。農業大臣が次官、4局長さらに5県知事等を従え鳴り物入りで入場だ。カラオケ大会が始まるわけでもないのに、やたらエコーの効いたマイクで司会進行である。そして長い長い大臣の挨拶が終ると、例の如く民族舞踊に仮面舞踏だ。それが済むと会場の各ブースの謁見である。これにお付のものがぞろぞろと長蛇の列。誰のためのEXPOかと言いたくなる。主役は農民なのだ。これもブータンのカスタムのようだ。
午前中は耐え難いほどの強い日差しであるが、午後になると決まって雲が空を覆い急に肌寒くなる。インドに近いとはいえ標高1800mだ。インドからの暖かい南風がこの仙人峡の山に当たるためだ。夏はこのモンスーンのため深い霧で話している相手の顔すら見えなくなるそうだ。
柵にもたれてぼやっとしていると、後ろから片言の日本語で話しかけるものがあった。マッシュルームセンターの所長さんとのこと。日本に1年ほど行っていたそうだ。マッシュルーム先生、日本語ドルジの教え子である。このマッシュルームセンターは日本語ドルジが造ったものでもある。
疲れきって、来賓席でうたた寝をしているとまた話しかけるものがある。今度は植物防疫センターの所長さんだ。娘が東京にいるので、帰ったら会って欲しいというのだ。聞くと東大法学部の学生だという。文部省の国費留学生として5年間学んでいるそうだ。漢字も片仮名平仮名全てOKとのこと。メールと電話まで教えられる。ティンプーに来たら食事に招待したいとまで言われる。なんとも早、何のために来たのか訳が解らなくなってしまった。会場を見渡すと1人のおじさんが音楽にあわせて一心不乱に踊っている。会場は最早このダンスィングマンに注目である。
夜、臭いの宿舎に仲間を集め、ビールとウィスキーとスナック菓子で飲み会を催した。「EXPOは農民が主役だ。大臣ではない。」とか「展示だけではだめだ。試食をさせろ。」とか「ビデオを使ってもっとビジュアルに紹介しなければだめだ。」とか先輩面してひとくさり。彼らも納得していた。しかし盛大なセレモニーはブータンの習慣であり、改善には時間がかかりそうだ。彼らが幹部になるころには変わっていることであろう。ケサンはタシ所長や上司のタマンと同じメルボルン大学卒で同様に「ドクターになりたい」とか「世界第2の経済大国、日本に行ってみたい」とか抱負を語ってくれた。ジェムは「次期国王は小学校の1年後輩だ」と自慢していた。「じゃあ国王のご学友だね」と言うと、「警護が厳しくて話したこともない」と炭団のような顔をして話していた。最も有意義な時間であった。
仙人峡を後にティンプーに戻る。ホテルで夕食。金髪美人の1人旅であろうか。1人で食事中。他に客は誰もいない。何となく気になる。そこへ再び寄宿舎を逃げ出したインド人博士がどかどかと無愛想に入ってくる。まずいなと思っていると、案の定私のテーブルに座る。最悪。金髪さんも呆れ顔で出て行ってしまう。「料理が遅い」とか「部屋に持って来い」とか言って帰ってしまう。ブータンをインドの属国とでも思っているのだろうか。弱気に強く、強気に弱いアーリア人の血であろうか。どうも好かない。翌朝、このホテルでよく会う外人紳士と同席する。何時も本を持参し、静かに読んでいるのでアメリカ人ではないなと思いつつも「アメリカからですか」と聞いてみた。すると「スコットランド」と応える。そして「エジンバラ」と。イギリスとは言わない。イングランドとの確執のようなものを感じる。アルゼンチンの話をすると、ブエノス・アイレスに行ったことがあるとのこと。「スペイン語は?」と聞くと「ポキート」と言って帰っていった。
またも9時間、3つの峠を越えてジャカールに帰った。ジャイアントスリームの黒い山並み、麓には点々と街灯り、空には刃物のようなルネマグリットの月が冴え渡っていた。ロッジに着くとテンちゃん、モンちゃん、ケンちゃんが飛び出してきた。サンゲイも後から笑顔で迎えてくれた。我が家に帰ったような安らぎを覚えた。

    

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