国境の町プンツォリン
 
平成18年12月29日

 ゲドゥからプンツォリンまで、標高差1600mを一気に駆け下りる。駆け下りるといっても九十九折り、46キロ、1時間半を要する。斜度80度はあろうかと思われる山腹を右へ左へとヘアピンを繰り返す。急速に植生が変る。薄紫の花が群生している。名前は分からない。ポインセチア、シダ、そしてバナナ、ヤシ畑へと変わっていく。途中、道端でみかんとバナナを売っている。流れ落ちる小川で体を洗っている者もいる。ただ歩いている人もいる。南国の大地が広がっている。裾野にへばりつくようにプンツォリンの街。西日に照らされて大蛇のように蛇行する大河。果てしなく続くインド平原。久々に地平線を見た。
 カルバンディの検問所を過ぎるとプンツォリンの市街だ。人が多い、活気がある。今までの町とは様相が違う。ティンプー以上の活気だ。商業を中心とした国内第2の都市である。空港が出来るまではブータンの玄関口であった。

    

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 町の中央にサンドベルリ寺院、インドとの国境にプンツォリンゲート。人の往来は事実上自由だ。ひとたびインドの町、ジャイガオンに足を踏み入れれば、様相は一変する。リキシャ、屋台、ハエ、ごみと混沌の世界だ。ダーティーではあるがパワフルでもある。人種のるつぼだ。時々ドキッとするような美人に出会う。掃き溜めに鶴である。サリーが美しい。ブータンに来て初めて夕陽を見た。再びゲートを戻るとそこは秩序と清潔と素朴のブータンの世界だ。
 しかし、ビルが建ち並び商店が目白押しだ。不足のものは何も無い。ブータンとは全く違った街を見るようだ。ブータン各地から買出しに来るのもうなずける。冬場は寒さを避けて、チィンプーから多くの住民が移動してくるとの話も聞く。基本的には亜熱帯気候で、冬は過ごしやすい。しかし夏場は40度を越すこともあるそうだ。ブータン人は農耕民族であるが、牧畜民族の血も流れている。ティンプーの寒さを避けてプナカへ。ブムタンの寒さを避けてトンサへと国政の場を変えていたほどである。遊牧の民の血が今も季節による住処の移動を行わせているのだ。久し振りに巷の空気を味わった。
 再び1600mの標高差を駆け上り、天上人の世界に戻った。見下ろすとインドの大地が果てしなく広がっていた。栄華の巷を低く見て、また明日から仙人峡の世界で清貧と禁欲の生活が始まる。

  




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