亜熱帯ゲレプ

平成19年1月20日
 
 標高3400mのヨトン・ラ(峠)から、金髪をなびかせマウンテン・バイクで疾走して行く女性がいた。「ハイ、トライ」と手を振ると「ハロー」と応え、トンサに向け駆け下りていった。なかなか勇ましい。ヤンキー娘のようだ。
 トンサから進路を南に変えると途端にシダが多くなり、植生が変わる。棚田が広がり、段々畑には菜の花が咲いている。最早春だ。やがてパパイヤ、ポインセチアそしてラッパのような白い花。次第に緑が濃くなっていく。一本道の空中道路をひたすら南へ向かう。間違う心配はない。コサラで昼食。持参した昼食を一見公園風の広場で車座になって食べる。薄暗い食堂よりは快適だ。標高1500m、ゲレプまで177kmである。

 風が生温かい。空中に浮いたように県都シェムガンが見える。シェムガンを過ぎると次第に高度を下げていく。しかし山は大きく深い。マンデチュで検問を受け、日本橋を渡る。当センターの出張所でキャッサバとコーヒーをご馳走になり、さらに山を下って行く。暖気のため山々が霞んで見える。珍しく交通事故。トラックが立ち往生している。カーブが多く、しかも細い山道。交通事故が多いかと思うと、そうではない。慣れているのか、気を抜く暇が無いのか、事故の少ないのには感心する。木性シダ、最早ジャングルだ。バイク野郎がついてくる。巧みなコーナーリングだ。レーシングコースとしては持ってこいである。再び検問所。通行証の提示を求められる。初めてである。国境の町を実感する。

   

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 南国の町らしく騒々しく活気がある。しかし汚く、ブータン特有の臭いが立ち込めている。サリーも目立つ。色黒な目つきのきついネパール系も多い。ホテルには蚊帳が吊ってある。しかも蚊取り器も。確か「マラリアとデング熱に注意!」いう掲示がどこかにあった。監視塔がいたるところにある。決まって川沿いだ。ほとんどの川は干上がっている。雨期を迎える夏には、満々とした川に戻るそうだ。ヤシの林。と思いきや、ドマの林である。良く似ている。ブータン人がチューインガム代わりに口を真っ赤にしてかんでいるのがこの実だったのだ。良く薦められるが、とても食べる気にはならない。夕方になるとインド人が列を成して国境ゲートを越えて戻っていく。朝は逆にブータン側に列を成して入ってくる。朝夕に大勢の移動がある。建設ラッシュのブータンへ職を求めての移動である。ドマ林に沈む赤々と燃える亜熱帯の夕日を久々に見た。プンツォリンで見て以来2度目である。

 

 ゲルプは物価が安い。温暖な気候に恵まれ、農作物が豊富だ。トロピカルフルーツの産地でもある。マンゴー、パパイヤ、グァバそれにバナナ。市場で買わなくても野山にある。ウイスキーの生産地でもある。ちなみにウイスキー1本100円。バナナ1房、20本はあろうか、45円。紅茶6杯75円。私の住んでいるロッジの1杯分だ。しかし、紅茶にちょっと香辛料を落としてくれるその味が結構いける。車座になって何やら妙なものを飲んでいる。聞くと「トンパ」という飲み物だそうだ。缶の中に粟のようなものを入れ発酵させ、それにお湯を注いでストローで飲む。最初は抵抗があるが、飲んでみるとビールのような味で結構酔う。3回お湯を注ぎかえるとビール2本分ほど飲んだ、いい心持になる。どこの国でも酒とは縁が切れないようだ。

 夕方、初めて映画館に行ってみた。ドマの臭いのする、椅子の擦り切れた薄汚い映画館である。しかし満席だ。隣の親父、やたらと話しかけてくる。「ダショー西岡の友人だ」という。日本人をやたら持上げ、途中でいなくなってしまった。映画は[旅立ち]という題であるが、ゾンカで話しているので内容は画面から感じ取るしかない。決して面白いとは言えないが、いい体験であった。

 翌日、近くに温泉があるというのでショートパンツを買って行ってみた。谷間の、川沿いの、確かに温泉ではある。直径2mほどの風呂が2つある。屋根はついているが露天だ。芋洗いというより、すし詰めというべきか。老若男女、赤ん坊から皺婆ちゃんまで20人ほどが浸かっている。まさに混浴だ。そこに意を決して、無理やり入る。マンゴーの鈴なりだ。足の踏み場すらない。ただ浸かっているだけ。体の芯からブータン人になったようだ。南国の強い雨が一頻り。回りにはテントあり、野糞あり、決して健康的とはいえない。
 ブータン暦によると今日は大晦日。道々でそれらしい行事が行なわれている。牛、犬、猿、時々人の見送りを受けながら、亜熱帯の町ゲレプを後に雪のブムタンへ戻った。






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