瞑想するヤク
 
平成19年1月29日

 私は今年が厄年とのこと。厄払いも兼ねて裏山の修験場タガチョリンにロッジの双子の兄弟を連れて登った。途中、1軒しかない店でバターランプというろうそくの塊のようなものと線香を2個買った。タガチョリンに上げるためだ。思ったより急坂である。数メートル登るだけで息が切れる。ロッジのオーナーの家がある。スピッツが「キャンキャン」とうるさい。ロッジと同じつくりの、今建築中のなかなか立派な家だ。そこで道を尋ね、さらに登っていく。今度は番犬だ。ツェリンが「危ない」と、棒を用意する。手には石も持っている。確かに大きな黒い犬が2頭、今にも飛び掛らん勢いで吼えている。噛まれて狂犬病にでもなったら生きては帰れない。狂犬病は、予防は出来るが発病したら助ける手だてがないそうだ。手に持った棒を杖代わりに、そそくさと逃げ出す。見晴らしのいいところで一休み。胸をなでおろしながら水を飲む。ジャカールが一望に見渡せる。川沿いの小さな町だ。聞こえるのはチャムカル川のせせらぎと吹き上げる風の音、はためくダルシンの音だけだ。見上げると岩の上にヤクが1頭、身動きもせず佇んでいる。まるで瞑想しているようだ。

    

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 その裏手にはヤクが群れを成していた。動こうともせず、草を食べるでもなく、ただじっと瞑想している。ラマ教の僧侶のようだ。高いところで生活しているので、悟りを開いているのかもしれない。やや登ると岩場に修験場がある。今6人のラマ僧が修行している。1日1食、ひたすら瞑想とのこと。しかし夜は僧堂で寝るそうだ。期間は3ヶ月と3年のコースがある。3日なら3日坊主のつもりで挑戦してもいい。かつて、鎌倉の円覚寺の学生座禅に参加したことがある。期間は1週間。風呂も入らず、髭も剃らず、洗顔と歯磨きは許されるが厳しい戒律の元に座禅と作務、それに法話の日々であった。不思議にも、次第に物欲が薄れていくのを感じた覚えがある。しかし山門を出て北鎌倉の駅に着くまでに、物欲の世界に戻ってしまった。人間、悟りを開くのはなかなか難しい。

  


 足を滑らしながら山道を下っていくとペマ・サンバ・ワという小さな寺院に出会う。マニ車を回しながらこのお堂を何度も回っているブータンには珍しい可愛い老婆がいた。その近くに大きな樫の木がある。なかなか神々しい。その木の下で、双子の二人、「大きな栗の木の下で、あなたと私、仲良く遊びましょう」と歌いだす。小学校でこの歌を青年ボランティアが教えているようだ。子供たちがよく歌っている。少し下ったところに聖水が湧き出ている。冷たく綺麗だ。しかし山頂にはヤク、中腹には牛。たとえ湧き水といえども、その糞や尿がしみ込んだと思えば、飲む気にはなれない。

 腹はぺこぺこ、足の裏には豆。杖を突き、双子の助さん角さんを従え、よれよれの水戸黄門といった風情でロッジに戻った。10時に出て、着いたのは3時である。サンゲイが不機嫌だ。「何時だと思っているの。もうご飯は冷たくなっているよ」と剣幕。14歳にして最早ロッジの主婦のようだ。恐れ入りました。






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