足長おじさん

平成19年2月1日
 
 松岡さんは兵庫県出身のJICAシニアボランティアである。農業省の中央機械設備(CMU)に派遣され、同じブムタンに滞在している。大手鉄鋼メーカーの出身で、63歳だ。いつもズボンの裾を靴下で留め、まるで地下足袋を履いているような格好で歩いている。靴は製鉄所時代から履いていたという頑丈ではあるが、擦り切れている。「履きなれているからこれが一番だ」と言っていた。しかしジャンパーを羽織って必ずネクタイをしている。これが彼の一つのプライドでもある。「私は大学を出ていない」と言う。たたき上げとは言え、なかなかの人物である。しかも良く本も読み、日本語の合いの手を入れながらも流暢に英語を話す。規則正しい生活ぶりで、「朝は7時、夜も7時に食事を取り、出勤は8時。1分も狂うことはない」と言う。パソコンをリックに入れ、1時間以上の道のりを毎日歩いて通っている。

  

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 彼は父親から「就職するなら大企業に行け」と教えられたと言う。山陽特殊鋼の倒産では、多くの友人が職を失ったそうだ。「もし自分もそこに行っていたら、今の人生は無かったかもしれない」「父親と会社には感謝している」としみじみ話していた。
 20代の頃、英会話教室に通っていた。その時知り合った女性に結婚を申し込んだが断られたという。互いにそれぞれ結婚はしたが、今もその女性と付き合っているとのことだ。双方了解の上だそうだ。「須郷さん、男女の間にも友情ってあるんですよ。私は彼女の手を握ったことすらない。しかし40年もお付き合いを続けている」という。確かにチャイコフスキーのプラトニックな愛は有名だ。初恋の人に、今も遠い想いを寄せているのはそれと同じだろうか。彼は6年前に奥さんを亡くしている。独身の息子が2人いる。「再婚したら」と言っても「その気はない」と照れ笑いをしていた。

 現役時代、得意の英語力が買われて、良くインドネシアやマレーシアに派遣されていたようだ。面倒見のいい人である。「ボランティアといえども結果を出さなければ来た意味がない」と技術移転の重要性を説き,JICAへの要求も厳しい。私のように「あくまでもボランティア、結果責任が無い。草の根交流も重要だ」という意見には反対のようだ。世界を股にして仕事をしてきた実績がそう言わせるのであろう。筋金入りである。

 彼は40年来のクリスチャンだ。ブータンでも毎週日曜日には教会に通っている。ブータンは世界唯一のラマ教を国教とする仏教国家だ。しかし布教は禁止しているものの信仰を禁止しているわけではない。そこで知り合ったインド系の少女2人を私立の高校に通わせている。この家族は父親がネパール人、母親がインド人で、未だにブータン国籍を得られないでいる。従って公立の学校には入れないのだ。この子は成績が優秀で、学校でもトップクラスである。成績表を見せてくれたことがある。彼は「成績も優秀だし、意欲もあるのでインドの大学に留学させてやりたい」と言う。何という「足長おじさん」だ。これこそ正にボランティアだ。フィリピンでも同様の支援をしたことがあるという。日本で使わない洋服を、東南アジアの恵まれない子供たちに送ってあげたりもしている。キリスト教の博愛精神、奉仕の精神を実践しているのだ。自分のボランティアが小さく感じた。しかし、いつも対象が可愛い少女であるのが気になった。

  



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