稲刈り大作戦
 
平成18年10月22日

 稲の刈入れシーズンを迎えた。ここブムタンは3年ほど前から稲作が始まった。パロやティンプーのように比較的暖かいところは、早くから稲作栽培が行なわれている。しかしここブムタンは標高が高く寒冷であることから、漸く稲作が始まったところである。全て赤米だ。

 農業省次官と局長が来るとのことである。出迎えの準備で忙しそうだ。当日、寄宿舎の前には白、黄色、赤、緑、青の旗が立てられ、全員整列して向かえる。ブータンではこの5色は特別の意味があるようだ。どこの寺院に行ってもこの5色が使われている。最高位は黄色だそうだ。日本のお寺も同じだ。寺院の屋根は全て黄色、しかも壁には赤い帯が入っている。これが民家との区別方法である。純白の布を捧げて出迎える。カムニという袈裟のようなものを肩から下げる。外人はネクタイ着用だ。接客室に通される。正面に次官、前には果物が盛り付けられている。その脇に局長、その隣が私、私の隣が県知事といった按配だ。ご飯とミルクティーが振舞われる。所長は緊張の面持ちで立ち回っている。なんとも堅苦しいセレモニーだ。
 翌日、6時半に来いと言うので接客室に行くと、次官と所長だけ。次官を預けられ、やむを得ずボカリという薪ストーブで暖を取りながら談笑。英語は未熟、質問されてはまずいと家族のこと、日本のこと、ブータンの印象などめちゃくちゃ英語で喋り捲る。多分、呆れていたことだろう。漸く朝食でほっと一息。皆恭しく入ってくる。次官が食べないことには誰も食べ始められない。なんとも格式ばっている。

 いよいよ出発。車10台、30人以上が分乗する。大名行列である。また腸ねん転の道をかなりのスピードで走る。しかしメーターを見ると50キロ、カーブがきついので危険極まりない。タイヤをきしませ、前が見えないほどの砂煙の中を走る。とにかく我慢、忍耐の連続である。日本に帰るまでには相当忍耐強くなっていることであろう。
 着くと田んぼの真ん中にセレモニー会場が作られている。例のごとく中央に次官、そしてご飯とバター茶が振舞われる。農民代表の歓迎の挨拶、次いで次官の挨拶。これがまた長い。その後、農民と次官、局長らと直接討論がなされる。おっぱいを出してミルクを飲ませている母親もいる。私はもっぱらそちらのほうを見ていた。長い質疑応答である。しかし役人のトップが直接農民の話を聞くのは日本では見られない光景だ。階級社会とはいえ、この姿勢は見習う価値がある。人口70万のブータンだから出来ることかも知れない。

 いよいよ稲刈り大作戦の始まりだ。用意された鎌で刈り始める。次官も刈り始める。並んで私も刈り始める。懐かしい体験だ。夢中になってします。小型コンバインの試運転も行なわれている。桜井さんというJICA専門家が指導している。聞くと彼はベトナム生まれで、ベトナム戦争の時日本に逃れ、高校、大学を経て日本女性と結婚し、JICAつくばセンターに勤務しているとのことだった。ドクターである。まだ次官は刈っている。インタビューを受ける。英語は不得意と断っても強要され、やむを得ず応じる。ブータンにはテレビ局はない。ビデオカメラである。日本の恥をさらしたかもしれない。バター茶で終了だ。このバター茶はとても飲めない。お茶とバターと塩を混ぜた妙なものだ。どこへ行ってもこれが出るので閉口する。

  
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 さらに奥地、タン村に向かう。以前来たところだ。川沿いにわずかの田んぼがある。かつて領主だった城にある寺院を訪れる。旅行者は絶対に入れない場所だ。奥の院まで見せてもらう。女性のような優雅な仏像が何体も安置されている。説明を受け、お賽銭を上げブータン風に拝む。お賽銭は5〜10ニュルタムが一般的のようだ。頭の上、口の前、そして胸の前で手を合わせ、頭を床に着け祈る。これを3回繰り返す。三々九度である。そして純白の布を仏像に掛ける。最後に僧侶から頂いた聖水を口に含み、残りを頭にかける。なかなか厳かな儀式だ。タン村全景を見下ろしながら、そこの寺院のもてなしによるガーデンランチを食べる。食べ過ぎてしまう。
 帰りがけ、ラマ教寺院に立ち寄る。岸壁の中腹にある。同様の祈りをささげる。皆敬虔な仏教徒である。崖下に奇妙な石がある。僧の説明によると1つは女性の何であり、もう1つは男性の一物であるとのこと。更に下に合体したしぐさの石まである。何ともはや、驚きである。宗教とは元来そういうものであるのか。高尚なことをのたまっても、本来は即物的なのかもしれない。色即是空である。

 腸ねん転の道を体をよじりながら埃だらけで戻る。これでホテルに帰り、シャワーが浴びられると思いきや、寄宿舎の前に薪がうず高く積まれている。今夜はファイアーパーティーとのこと。地元の民謡ダンサーのきれいどころが10人ほどやってくる。ビール、ウイスキー、アラなど飲物は十分だ。実に単調な踊りだ。楽器は何もない。ただ歌って踊るだけだ。勧められ私も輪の中に入る。思ったより簡単だ。皆同じに見える。盆踊りのようなものだろう。しかし、形は似ているが全然違うとのご指摘。それほど飲んではいないのにやけに酔う。疲れと高地、環境も違う。日本のようなわけには行かない。ついにトイレで吐いてしまう。何年ぶりかだ。その後食事を出されるが食べるどころではない。心配した所長がホテルまで送ってくれる。結局シャワーも浴びられず、埃だらけのまま寝込んでしまう。翌朝、心配した所長から電話があった。60にもなって、40前の所長に心配されるとは情けない。ボランティアに来て、ボランティアされているようなものだ。なかなか大人になりきれない。未だちょい悪おやじだ。それにしても日本語ぺらぺらのドルジの娘は、親に似ず可愛かったなあ。異国の地でわが娘を思い出した。 


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