カルマの転勤
 
平成19年2月25日

 カルマ・チュフィルが2月25日、転勤していった。新しい勤務先は、ブータンに4ヶ所あるRNRのRCバジョーだ。ウォンデュ・ポダンにあり、6県を所管している。このセンターは米を中心に穀物を全国統括する事務所でもある。

 カルマはブータン東部のタシガンの出身である。ブータン唯一の大学、シェルブツェ・カレッジ(通称カンルン大学)を卒業し、フィリピンの大学に4年間留学し、さらにイギリスで1年間学んだ秀才である。専攻は植物防疫学。農業省に入省し、RNR−RCジャカールに配属になり10年間1度の異動もなく、今回が初めての転勤となった。38歳、子供3人、農業組織部長である。

 このカルマ、とても秀才ともエリートとも見えない。昼時は事務所の庭で女子事務員を相手に、車座になって昼飯を食べている。何時もぶらぶら、仕事らしい仕事をしているのを見たことがない。休日は2歳の息子を車に乗せ、町の通りをぶらついている。何をするわけでもない。一度、トンサ山村調査に同行したことがある。ガテマラという牛の飼料作物を普及させている。以前、生姜のようなものを勧めて大失敗したことがあるそうだ。とにかくおおらかで、おおようでよく笑う。大人といった風貌がある。酒(特にウイスキーとアラ)か好きで、ブータンでは禁止されているタバコを毎日2箱吸う。ブータンの不良親父だ。

 

 転勤と聞いて、彼を昼食に誘う。ジャカール最高のレストランでご馳走するということにした。しかし感じは場末の食堂である。何を言い出すのかと思いきや「女には不自由してない?」といきなり聞く。「不自由しているよ」と答えると、「いい女がいるから紹介する」と言うのだ。軽い気持ちで「頼むよ」と言うと「これから行こう」と言う。車でその店を通りかかり「あそこにいるだろう。あの女だ」と下見をする。その夜、その店に繰り出す。ブータンでいうなら「バー」ということになるのだろう。ボカリの周りに車座に椅子が置いてある。薄暗い。思い思いにビールやら、アラ、ウイスキーを飲んでいる。とても女を口説くような雰囲気ではない。例の女が勧めに来る。カルマが「どうだ、気に入ったか」と。「何だよ。ばあさんじゃないか」と言うと「40だ。須郷さんは60だろう。十分じゃないか」と。ブータンはアルゼンチンと同じで、30歳を過ぎると急速に衰える。そのてん、私は「40歳」で通る。「カルマの奥さんなら何時でもOKだけどね」と言うと「それだけは勘弁してくれ」ということで、ちょい悪親父2人のアバンチュールはこれで「チョン」となった。

 カルマ宅に親しい仲間3名と送別の招待を受ける。姉と妹、それに奥さんの母親、子供3人の8人家族だ。子供はカルマに似ず、可愛い。それを言うと「昔はハンサムで通っていた」と言う。多少その面影があるような気もする。ブータンの軍隊の話になる。ブータンにはヘリコプター1機すらない。それでもブータン軍は強いと主張する。国境線でのシッキム・ゲリラとの戦いでは、国王軍が1日で勝利したとのことだ。「ブータンはラマを信じているから弾は当たらない。よけて通る」と言うのだ。何とも神風のような話だ。しかし中国やインドとの戦いになったら1日で敗退するだろう。平和と均衡の上に成り立っている国家ともいえる。

 

 事務所の送別会。30分過ぎてもカルマが来ない。皆ブータン時間だと、気にしていない。タシの送る言葉から始まる。続いてカリマの挨拶。世話になった仲間の名前が出る。トンサ山村、困憊と彷徨の調査も私の名前を出して話しているようだ。その後部下の御礼、ダツェ(ブータン式アーチェリー)部の仲間の送別の辞と続く。ダツェ部はカルマの創設のようだ。国技でもあるこのダツェは新年や旧正月の行事でもある。ブータン暦によると今年は「フィーメイル・ファイア・ピッグ(火の雌豚)」ということになるそうだ。日本は猪歳、中国や韓国も同様のようだ。当事務所のダツェ部はブムタンでは無敵を誇っている。最後は何時ものようにブータン舞踊である。仲間も別れを惜しんでか、10時まで延々と続く。帰り際、またカルマが「もう1人いい女がいるんだけど行ってみる?」と問いかける。「こんな小さな町で問題を起こしたら住んでいられないよ」と一応断る。

 愉快な奴だ。タシは1年長い勤続11年、しかし年は1つ若い37歳である。しかも所長だ。互いにライバルとして競い合ってきたのだろう。2人の性格の違いが道を分けたのかもしれない。人の一生は「間髪の間」に決まるという。「尽人事而後楽天」と高橋是清が言っているが、慌てずわめかず飄々と生きて欲しいものだ。
 トラック一杯に家財道具を積み込み「電話するから必ず来てくれ」という言葉を残して旅立った。何回となく転勤を経験した想いが込み上げ、目頭が熱くなった。



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