国獣タキン

平成19年35

 ブータン唯一のゴルフ場を挟んでティンプーの官庁街の裏山に動物園がある。動物園といっても、山の斜面を柵で覆っただけのものだ。しかも色々な動物がいるわけでもない。顔がヤギ、体がヤクといった格好のブータンの国獣、タキンが飼われている。とても神経質でなかなか近寄ってこない。絶滅の危機に瀕しているとも言われている。その隣にディアがいる。ロバの耳をした鹿である。時々、民家の近くの畑に現れたのを見たことがある。これも神経質でなかなか人間には近寄ってこない。ディアに会った日は幸運に出会えるという言い伝えがあるそうだ。


  

 農業省での会議を終え、表に出ると珍しく激しい雨。雨を除けながらホテルに戻る。まだ6時だ。することもない。1階のバーに行ってみる。客は誰もいない。カウンターを挟んでバーテンと話してみるものの、なかなか話が続かない。足長おじさんの松岡さんに教えられた女のことを思い出す。携帯から電話してみる。子供のわめき声とともにがらがら声が現れる。あまり好い予感はしない。「松岡さんから紹介されたんだけど、暇だったら来ない?」とやや緊張の面持ちで話してみた。「何処にいるの」、「ホテルの1階のバー」、「30分後に行く」とのことで商談成立。

 30分後にやってきた。1人と思ったら3人である。民族衣装キラは着ているものの赤、緑、黄色とあまり一般の人は着ない派手なスタイルだ。しかも厚化粧。これはちょっと手に負えないなと思ったが後の祭り。電話した相手はネパール系のなかなかの美系である。しかし相当ながらっぱちだ。仕切りなしに電話が入る。男出入りが激しそうだ。もう1人はチベット系で、ブータン人には珍しく色白である。しかし肉付きのいい中年おばさんだ。後の1人は、年は若そうだ。しかしブータン東部の出身で、色黒で炭団のような顔をしている。とんでもない連中が来たものだ。ウォッカにマンゴージュースを入れて飲むこと飲むこと、恐れ入った。好き勝手に食べ物を注文するわ。炭団は欠食児童のようによく食べるわ。挙句の果てに写真を撮ってくれと。まるで場末のバーといった雰囲気になってしまった。2時間、ドンちゃん騒ぎの末、さっさと帰ってしまった。「松岡さん、もう少し増しなのを紹介してよ」と言いたくなった。静かにブランデーでも傾けながら、ムードのある話でもしたかったのに、ぶち壊しである。疲れがどっとでた。

 夕方ホテルに戻ると、運転手が「ガソリンが切れた。車が動かない」と言ってくる。思わず財布を覗いてしまった。免税店でオーストラリアやチリのワインを買い込み、日用雑貨も買い込んだ。その上、昨夜のドンちゃん騒ぎである。ホテル代を払ったらどうしても足りない。やむなく、ティンプーでは唯一知り合いの山津さんに無心することにした。彼は1度ブムタンに来たことがあり顔馴染みだ。私は短期ボランティア、1人で来たので同期がいない。ほかに無心できる相手はいない。山津さんは、かつて南米パラグアイにいたことがある。今回は会社を休職して来ているそうだ。口ひげを生やし、愛嬌のある愉快な、しかしカビの生えた独身男である。「金が足りない。3000ニュルタム貸して欲しい」と電話すると「3000でいいのか。何かあると困るから5000持って行く」と快諾してくれた。お礼にレストランで夕食をご馳走することにした。

 料理も揃い、乾杯も終わり、いよいよ食べようとすると携帯が鳴る。同行のスタッフから「仕事が入って、月曜にやらねばならない。帰りは火曜になる」と言う。今日は金曜日だ。車のことがちょっと気になった。その後間もなくタシから「須郷さん、車がないので帰るのは火曜にしてくれない?」と調子よく言ってくる。

用事もないのに3泊もしていられない。いささかむかつく。「冗談じゃない。明日の朝帰る。車を手配してくれ」ときつい語調で言ってしまった。それからが大変。事務所の仲間から「ああだこうだ」と何度となく電話が来る。一向に埒があかない。折角の楽しい食事も台無しである。会計をしようとすると「貸した金で支払わせるわけにはいかない」と言って、結局ご馳走になってしまう。山津さんには申し訳ない事をした。10時過ぎタシからまた電話が入った。「ペマ局長に送ってもらうことにした。明日10時半にホテルに迎えに行く。ドクターペマは須郷さんとじっくり話せるのでハッピー、ハッピー」と言って電話を切った。それにしても局長に送らせるにはちょっと気が引けた。以前,RNRモンガルの落成式に同行したことがあるので気心は知れている。


  

 10時半、サングラスをかけ、ちょび髭を生やし、少しはげかかった坊主頭のペマがやってくる。まるでやくざの親分だ。車はランドクルーザー、農業省と書いてある。しかもお抱え運転手付だ。どう見ても私用ではなさそうだ。聞くと「モンガルへの出張を早めた」と言う。週末の家族団らんをふいにさせてしまったようだ。ペマの運転も荒っぽいが、お抱え運転手の運転もかなりのものだ。急カーブを、車を軋ませながら走り抜ける。似たもの同士ということだろう。車の中では矢継ぎ早に「どう思う。どうする。もしもブータン人であったら。日本ではどうだ。」とあらゆる分野のことを質問する。WHATWHYHOWがやたらに多い。冬だというのに額に汗をかきながら、たどたどしい英語で答える。ブータンを思う気持ちが強いようだ。途中でトイレタイムを1回取っただけで、ノンストップでブムタンまで走った。9時間かかるところを6時間半で来てしまった。恐ろしいスピードである。ジャカールの町外れで、タシ他事務所のスタッフ3人が山裾の芝生にテーブルと椅子を並べ、紅茶と多少の食事を用意して出迎えてくれた。要人を迎える時の習慣のようだ。局長に無理を言った償いの気持ちもあるのだろう。山に日が落ち始める。暢気に野立てをしている暇はない。寒さが染みとおる。

 それにしても色々な体験をしたティンプー出張であった。

 


                        >戻る