ブータンのカルチェ・ラタン

 
平成19年4月28日

 モンガルから未踏の地、タシガンに向かう。モンガルまでは来たことがあるが、それより東へは行ったことがない。タシガンはブータン最東部に位置し、チベット系とは異なる東南アジア的文化を有し、ブータンの先住民族の地とも言われている。東部ブータンに住む人々をシャチョッパ(東の人)と呼び、チベット語とは明らかに系統が違うツァンラカという言語を話す。彼らは自らをツァンラ(楽園の人)と呼んでいる。ここはブータン最大の人口を擁するところでもある。


 

 最早、切り立った山や峠はなく、なだらかな山頂を持つ山が幾重にも重なるように続いている。カシなどの深い照葉樹林が続く。山の斜面に棚田、トウモロコシ畑が広がっている。つづら折りの道がまるで万里の長城のように見える。標高2400mのコリ・ラ(峠)を越え、2000m近く下ったシェリ川の鉄橋を過ぎると荒涼とした山肌に西部劇を思わせるサボテンが所々に生え、灼熱の太陽が降り注ぐ。ダンメ川を挟んで向かい側の発電所にジャカランダが満開だ。見事な紫。ユーカリもある。アルゼンチンを思い出させる。チャグザム橋のチェックポイントに妙な形のスノー・ライオンが見張っていた。見上げるとかすかにタシガン・ゾンが見渡せる。ここから10km、ジグザグと登ると小さな温泉街といった風情の県都タシガンに到着である。

 狭い広場の中央にマニ車が回っている。その周りに老婆が3人、腰を下ろして手持ちのマニ車を無心に回している。タシガンはブラ(野生絹)の織物が盛んである。早速一織り所望する。さすがに天蚕の織物だけになかなかのお値段だ。

 タシガンから南へ、インド国境に向かう道は荒涼とした風景とは一変して、照葉樹林の密林だ。濃い霧に覆われている。暫くするとカンルンのサンドペルリ寺院が見えてくる。比較的新しい寺院のようだ。

 寺院と道を挟んでブータン唯一の大学、シェルブツェ・カレッジがある。通称カンルン大学と言い、ブータン全土から秀才が集まる全寮制の学校だ。学生数はたったの500人。小さな大学ではあるが広大な敷地に、ブータンには珍しく整備された校舎が並ぶ。消防署の火の見やぐらのような時計台があり、そこが講堂になっている。施設は良さそうであるが、メンテナンスが行き届いていない。緞帳が片側下りてこない。時計台の時計もお休みだ。グランドではぬかるみの中、サッカーに興じている。ユニフォームはバラバラ。しかし女子学生の声援を受け、張り切っている。まさに学園という雰囲気だ。何故こんな山の中に大学町があるのか不思議な気がする。校門のあたりには、ブータンとしてはおしゃれな飲食店やファンシー・グッズの店があったりして、ちょっとしたカルチェ・ラタンの雰囲気だ。但し、酒、タバコは禁止されている。「栄華の巷、低く見て」次代を担うブータンの英才を育てているのだろう。


 

 私のカウンター・パートのシェラブもここの出身である。彼が通っていた頃は学生数が250人だったそうだ。当事務所には結構ここの卒業生が多く、校舎建設の資金集めによく来る。しかも当りくじ付のものだ。日本人は金があると見て付き合わされるが、たまったものではない。確かに時計台の前に建設中の校舎があった。

 隣のカリンもまた中学、高校、盲学校や国立織物センターがあり、学生の町である。また、ブータンの織物近代化の拠点でもある。

 カンルン、カリンを後に東部ブータンの中心地タシガンで1泊。コリ・ラを越え東ブータンの玄関口モンガルで1泊。さらにトムシン・ラに向かうつづら折りの道路から千尋の谷へ落ち込む落差100mのナムリンの滝に心を奪われ、赤・白・黄色の石楠花に彩られた富士山に近い3740mのトムリン・ラを越えて、りんごや桃の花咲くブムタンに戻った。