東部ブータン日本祭


平成19年5月1日

 東部ブータン日本祭開催のためタシガンに向かった。

前日にティンプーを発ったマイクロバス2台に拾われ、朝8時にブムタンを出発した。乗り込むと早速音楽がかかる。聞き覚えはあるが曲名が解らない。「いい曲ですね。何という歌ですか」と聴くと「サライ」と教えられる。続いて「明日かあるさ」がかかる。この歌は良く知っている。九ちゃんの歌だ。「皆様、昨夜は良く眠れたでしょうか。バスは一路トムシン・ラ経由、モンガルへと向かっております。それでは早速本日の日課、歌のレッスンを始めたいと思います。準備は宜しいでしょうか」青年ボランティアが裏声でガイド役を勤める。そのイントネーションと間の取り方が実にうまい。なかなかの役者である。「サクラふぶきの〜、サライのそらは〜」皆は練習済みのようだ。なかなかついていけない。「いつもの駅でいつも逢う」これは何とかついていけそうだ。しかし手拍子が1テンポずれる。なかなかリズムに乗り切れない。

午前の部が終わるとまた午後のレッスンが始まる。この2曲が全員の合唱曲のようだ。ジュニアが先生、シニアが生徒。主導権は完全に若者だ。一生懸命頑張っている。しかし楽しそうだ。トムシン・ラ(峠)は全くの霧の中。霧雨状態のなかでおしっこ。足元に真っ赤な石楠花の花が一輪。愛しいほどの艶やかさだ。そっと触れてみた。

声もかれるほど歌い、疲れも出てきた頃、モンガルの宿に着いた。早速若者たちは食堂で、キーボード、トロンボーン、フルート、ギターにタンバリンで演奏を始める。我々ロートルはビールを飲みながら、手拍子と拍手で応援する。子供たちが取り囲む。それを泊り客や従業員が取り囲む。最早ミニ日本祭だ。


 

翌日また、裏声ガイド嬢の指導で、歌のレッスンを受けながらタシガンに向かう。途中でパンク。なかなか修理から戻らない。ガソリンスタンドでまたもギターの伴奏で大合唱。トラックの運転手や学校帰りの子供たちが物珍しそうに眺めている。一頭の子牛が身動きもせずに、じっと聞いている。解るのだろうか。


 

カンルンのシェルブツェ・カレッジのゲストハウスが宿である。寝袋持参だ。

初日はカンルン小学校で。午前中、催しの準備。1時開催である。校庭は既に小学生でいっぱいだ。杉原SVの周りには黒山の子供たち。子供をひきつける特別な才能がありそうだ。クイズから始まる。続いて相撲。相撲の作法や禁じ手を紹介し「はっけよいのこった」である。なかなか様になっている。道具は何も要らない。ブータン向きのスポーツだ。以後はそれぞれの催し会場へ散っていった。私の持ち場はJICA紹介の展示のため、集まりが悪い。茶道と一緒の会場なので、時折抹茶を頂く。人気はヨーヨーつりだ。風船つくりに相当の時間を費やしたようだ。何しろ坊主頭にサングラス、おまけにちょび髭と来ている。尋常ではない。的屋の親父だ。誰かが「フーセンの寅だ」と言っていたが、その通りだ。

餅つき、けんちん汁、うどん。もちは柔らかすぎ、しかもブータン風にチリをつけて食べる。うどんは昨夜からこねていたようだ。どれも日本の味は出せない。間違った認識を植えつけそうだ。試みはいいが、食材と道具に問題があった。剣玉、福笑い、習字に版画と盛りだくさんだ。子供たち以上に我々大人が楽しんでいた。終了後、ヨーヨーをつきながら帰る子供の列が印象的だった。しかし釣れずにべそをかいている子もいた。


 

第2部は6時からシェルブツェ・カレッジの講堂での演奏会。というよりは学芸会といったほうが当たっているかもしれない。この大学は全寮制で学生数は500人。講堂の許容量も500人。県知事、副知事を迎えての開催である。定員オーバー、立ち見の学生も多い。オープニングは茶道のお手前から。そして、シェルブツェの学生による歓迎のブータン踊りと続く。

バンド演奏が始まるといきなり停電。電力の容量オーバーなのか度々電気が切れる。なんとも困った会場だ。よさこいソーラン節、まつけんサンバと続き、若者のエネルギーがはちきれる。観客も乗ってくる。そして静かに小学唱歌のメドレー演奏。気持ちがいきなり、日本のふるさとへ飛んでいく。続いて、何故だか解らないが、我々も舞台に上ってラジオ体操である。これは教えられなくても解る。最後は、練習に練習を重ねた全員による合唱だ。若者の指導どおり、20度上を向き、歌詞が解らなくても大きな口をあけ、元気溌剌歌うことにした。

「離れれば、離れるほど、なおさらに、つのる」「サクラ吹雪の、サライの空へ、いつか帰る、その時まで、夢は捨てない」とちりながらも絶好調だ。「いつもの駅でいつも逢う、セーラー服のお下げ髪」「明日がある、明日がある、明日があ〜る〜さ」額にうっすらと汗。万雷の拍手である。若干年を感じつつも、若者と一緒に歌いきったという満足感、それに、忘れかけていた青春の滾りが蘇るのを感じた。「明日がある」と口ずさみながらゲストハウスに戻った。

2日目は同様に隣町のカリン小学校で1部、カリン高校で2部が行なわれた。

色々問題はあったにしても、子供たちの心の中に、はるか日本から来て馬鹿騒ぎをし、妙なゲームをしていった一団があったという記憶が残るであろう。これが正に草の根交流である。日本祭キャラバン隊を編成して、世界の小学校を行脚するのも一つの国際交流かもしれない。若者のエネルギーに感謝である。