ガサ温泉


平成19年5月20日


 ガサは日本人に意外と人気がある。温泉が湧いているからだ。ガサ温泉ラヤ・トレックが人気だそうだ。ガサはプナカの北にあり、ヒマラヤ山脈を挟んでチベットと接している。

 ジャカランダが満開のプナカ・ゾンを後に、川沿いの道を登っていく。オレンジ畑を通過し、やがて国立公園に入る。牛の集団をかき分け、ラフロードに入りガサ・ゲートをくぐるといよいよガサである。急坂を登っていくとサルの家族。茶色のサルだ。今日はラッキー・デーではなさそうだ。空気が何となく清々しい。山の形が次第に変わる。はるか彼方に雪を被った鋸状の山が連なる。ヒマラヤに近づいた予感がする。車の終着点。はるか鋸状の山懐にガサ・ゾンが見える。ここからは自分の足に頼るほかない。ゾンが手配してくれた馬4頭に食料と荷物を積み込み、ガサ温泉に向かう。


 

 カッコーの声を聞きながら山道を進む。ブナの林、川の音に混じってセミの声も聞こえる。新緑が目にしみる。輸送手段は馬のみだ。馬糞とその臭いに悩まされる。山道というより糞道だ。ゾンへの道と別れ、温泉へと下っていく。次第にジャングル。野生のランも咲いている。育ちきらないヒルも頭を精一杯伸ばしている。4時間の歩行。谷間のガサ温泉に到着だ。

 ゾンのゲストハウスに入るにも鍵がない。管理人がプナカに行ったまま戻っていないのだ。食器やガスボンベもない。諦めて、先ずは温泉に入ることにする。湯船は4つ、他に王室専用のものと馬専用のものがある。「シャワーを浴びてからお入りください」と書いてある。ブータンにしては珍しい掲示だ。入ると5人ほどの叔母ちゃん。珍しそうに見ている。話しかけられるが意味が解らない。湯加減はやや温めで、私の好みにあっている。シェムガン温泉の50度とは大違いだ。かすかに硫黄の香りもする。お湯も透明ではない。いい気分で帰ると、管理人も戻り食事の準備中だ。アラを飲み、することもないので早々に寝ることにした。


 

 夜も開けきらない頃、トイレに行く。子犬の親子がじゃれ付いてくる。1頭は母犬そっくりであるが、もう1頭は全く毛並みが違う。父犬似だろうが、父犬はいない。夜も開けきった頃、朝風呂に行く。大賑わいである。マンゴー、パパイヤが浮いている。おっぱいを出すことにはあまり抵抗感はないようだ。確かに、集会などでも平気で子供におっぱいをくれている。日本も何年か前は、このような光景は当たり前であったのだろう。

 朝食を済ませ、ガサ・ゾンへの標高差500mを一気に上っていく。見上げると日本昔話に出てきそうな山をバックにゾンの威容が迫ってくる。難攻不落の城であったのだろう。風景は違うが、豊後竹田の岡城址を思い出した。「春高楼の花の宴に」滝廉太郎と肩を組んで写真を撮った記憶が蘇った。途中、ワイシャツとネクタイに着替える。ガサ知事に会うためだ。第14回のキャトル・ショー、言うなれば乳牛共進会なるものが行なわれていた。そこで知事の出迎えを受ける。岡田真澄に似たなかなかのハンサムだ。我が事務所の前所長でもある。ブータン人には珍しく、綺麗な英語を喋る。昼食をご馳走になり、知事の案内でゾンに向かう。それにしても、しいたけが美味しかった。ブータンに来て美味しいと思ったのは、これが初めてのような気がする。はるか彼方にドチュ・ラのチョルティンが白く光って見える。雲に隠れているものの6946mのカンブンの威容も望める。広大な空間だ。


 

 立派なゾンである。日本の有名人も結構来るとのことだ。NHK大河ドラマ「新撰組」の土方歳三役の俳優も来たそうだ。ゾンに入る時、知事は赤いカムニとサーベルを付け、正装し直した。まさに城主である。知事室に通され、持参した手土産を渡すとガサの状況を説明してくれた。人口はたったの3000人だそうだ。ガサ温泉の観光開発の素案を示してくれた。特別の来客とのことで、ゾンのなかをくまなく案内してくれた。しかし部屋に入るたびに、床に頭をこすり付けての三度の拝礼と賽銭にはまいった。信仰心のない私には結構な出費であった。

 奥さんの待つ自宅にまで案内され、紅茶を2杯頂いた。ガーデニングが趣味のようで、沢山の鉢植えが置いてある。日本から取り寄せたという牡丹もあった。裏は仙人峡を思わせる岩山。前は広々とした視界で、ティンプーのドチュ・ラ(峠)まで見渡せる。しかも中国国境に通じるラヤへの通り道でもある。こんなところに住んだら、世俗を忘れることが出来るだろう。住んでみたいとも思う。しかし1週間で退屈に耐えられなくなるだろう。

 ゾンを後に、標高差500mの温泉へ再び戻る。帰り道、シェラブに日本語を教授。「山道に沢山の馬の糞」何度も繰り返していた。テントが7つ。パロからブータンの霊峰チョモラリを経てリンジ、ラヤ経由のキャラバン隊が到着していた。ヨーロッパの一行のようだった。今晩は私が腕を振るい、カレーそばもどきをご馳走した。どんぶりがないので、汁はなく、そばにカレーをかけたものだ。それでも皆、うまいうまいと食べていた。期待をして風呂に行ってみたが、残念ながら白いパパイヤにはお目にかかれなかった。皆の疲れも出ていたと見えて、いびきのうるさい夜だった。聞くと私のいびきも相当なものだったようだ。

 翌朝またトイレに行く。我々のトイレは鍵付きだが、隣のトイレはオープン。ウンチが山盛り、糞詰まりである。トイレの回りにもウンチ。パンツまで落ちている。何とも早、耐え難い光景だ。知事の計画する観光開発も大事だが、トイレには金をかけて欲しい。民度の高さはトイレを見れば解る。外人観光客を呼ぶのであれば、是非そう願いたい。

 朝風呂の後、またも4時間かけて車の待つルート・ポイントまで戻った。同じ4時間でも、帰りはかなりきつく感じた。せめてもの慰みは、奥入瀬を思わせる渓流だった。途中、サルの一団に会う。今度はゴールデン・モンキーだ。幸運の日ということだが、最早体はへとへとだ。さらに車で3時間。うちわサボテンの鮮やかな黄色い花が群れ咲くプナカに戻った。

 風光明媚なガサ。風景が美しすぎたためか、ガサ温泉の設備が気になった。豪華なものは必要ない。衛生面の配慮がこれからのブータンには欠かせない要素であろう。