ヒマラヤの青いケシ


平成19年6月5日


 ブータンの国花、ブルー・ポピーを見たくてチェレ・ラに向った。チェレ・ラはパロとハの県境にある標高3988mの峠だ。ブータンでは最も高い峠とも言われている。

 ダショー西岡の故郷、パロ・ポンデ村の棚田を左右に見ながら九十九折りの道路を登っていく。左手下に西岡の設立による農業機械化センター、右手に機械化研修センター、さらに上るとドゥルック・シード、そしてポンデを見下ろす高台にダショー西岡追悼チョルティンが静かに立っている。西岡のブータン農業指導28年の記念碑だ。

 樹海の九十九折りをさらに登っていくと急に視界が開ける。チェレ・ラである。ダルシンが激しくはためいている。かなり強い風だ。4000mという実感はない。東にパロ、西にハの町並みが霞んで見える。南北になだらかな山が広がっている。はるか北にはヒマラヤ山脈。しかし雲に隠れて、その片鱗を見せているだけだ。


 

 ドルジの誘導で、南側のなだらかな山を登っていく。風をよけ、山に這いつくばるように石楠花が群生している。赤、白、黄色、色とりどりの高山植物が可憐な花を咲かせ、風に花弁を震わせている。名前を紹介できないのが残念だ。道端でも良く見かける、春のブータンを象徴するサクラソウが小振りではあるが力強く咲いている。深山霧島に似たツツジがスクラムを組んだように咲いている。天上のお花畑だ。しかしまだ「ヒマラヤの青いケシ」、メコノブシスは見つからない。不安がよぎる。その時、ドルジが大声で「あった」と叫ぶ。足を滑らしながら駆け寄る。確かにブルー・ポピーだ。しかしまだ蕾だ。時期が早かったのかもしれない。大事に写真に収める。多少未練は残ったが、ブルー・ポピーに会えた満足感は味わえた。するとまたドルジが「本物だ。花だ」と大声で叫ぶ。行ってみると、何と5本ほどが満開ではないか。天にも上る思いで、シャッターを切り続けた。満足感と興奮で、天を仰いで大の字に寝転んだ。真っ青な空、白い雲、吹き上げる風の音が耳に心地よい。太陽が間近に感じた。


 

 限りなく空の色に近い「究極の青」。魔性の花、ケシらしい心を惑わす青だ。透き通るような、湖の底に吸込まれるような青さだ。しばし寝転んだまま興奮の余韻を味わっていた。

 峠を挟んで北側のなだらかな山に登る。ダルシンが騒々しくはためいている。その数100本、いや200本はあろう。神秘的な音だ。心が天に吸い上げられていくような錯覚を覚える。ドルジが駆け上って行く。年の割に元気だ。いくら登っても雲に隠れたヒマラヤは見えない。走り回りたい心境だが、何しろ4000m、体が許さない。


 


 パロへの九十九折り、突然ドルジが「朝鮮人参がある」と言う。山の向きと高度で解るようだ。確かに目的のものはあった。どう見ても朝鮮人参とは思えない。根っこが芋ずる状に繋がっている。「朝鮮人参とは違う」と言うと、「ブータン人参だ」と言う。効能は同じのようだ。色々なことに興味を持つおっさんだ。

 道中、ドルジの夢を聞かされる。日本とのジョイント・ベンチャーを立ち上げたいようだ。構想は面白い。ブータン農業に一石を投じることになるかもしれない。日本との調整に一肌脱ぐことを約束する。とにかくチャレンジすることはいいことだ。夢というより野望といったほうが好いかもしれない。

 ドルジは日曜までティンプーで家族孝行をするようだ。帰りの車がない。ドルジの計らいで農業局長の車に同乗することになった。あまり気乗りはしなかったが、やむを得ない。断ればバスで帰るしかない。

 ティンプーの夜は足を投げ出し、寝苦しさを覚えるほどの暑さだった。しかし、ブムタンはボカリが欲しくなるほどの涼しさだ。高度がそれほど違わないのに、この温度差はいったい何なのだろう。ブルー・ポピーの写真をパソコンでぼんやり眺めていた。