ジャガイモの花

平成19年6月10日

 ジャガイモの花がこんなに綺麗とは思わなかった。ブムタンはジャガイモの栽培が盛んだ。今がちょうど満開である。淡い紫色だ。

 ジャガイモは「ジャガタラいも」の略だそうだ。慶長年間にジャカルタから渡来したという。ナス科の一年生作物で、南米のアンデスが原産だ。

 ジャガイモは主にインドに輸出されている。収穫期にはブータンの山道を、ジャガイモを満載したトラックが車体をきしませ、黒煙を吐きながら、ゆっくり登っていくのをよく見かけた。収穫までは野豚との戦いだ。畑には囲いがしてあったり、見張り小屋があったりする。

 野菜もよく見るとなかなか綺麗な花をつけている。一面の菜の花は見事なものだが、葱坊主もなかなか味がある。

 我がロッジの親父は、ジャガイモのような顔をしている。笑った顔はまさにジャガイモが笑っているようだ。子供たちがいつの間にか一人もいなくなった。サンゲイは家族の事情でタシヤンツェに帰った。間もなくして、ケンちゃんがいなくなった。理由は解らないが、サンゲイの家から小学校に通っている。2人残ったツェリンとモンちゃんも、ある日突然いなくなった。モンちゃんは前から僧院に戻されることになっていた。本人は「行かない」と言ってごねていたが、無理やり連れて行かれたのかもしれない。かなり遠いところのようだ。インドとの噂もある。同じ日からツェリンもいなくなった。親父は「友達のところ」と言っているが、いずれも詳しいことは解らない。今はこのジャガイモ夫婦だけだ。

 なんとも不可解な家族である。子供たちがいなくなって、静けさは取り戻したものの、何とも侘しい。朝や夕方に持ってくる紅茶が、親父だったりするとぞっとする。特に休みの日はすることもなく、うるさかった子供たちが懐かしく思える。

 ジャガタラといえば、「ジャガタラお春」。「あら日本恋しや、ゆかしや、みたや、みたや・・・・」と日本への望郷の思いが綴られた手紙が長崎に着いたのは、今から350年ほど前のことだそうだ。寛永の鎖国令により、長崎市中に在住していた外国人とその家族287人がバタビア(今のジャカルタ)へ追放された。その中に14歳の少女「お春」がいた。青く大きな瞳に透き通るような白い肌。お春は美しく、頭の良い少女だったそうだ。父親はイタリア人。しかし、オランダに帰ると、理右衛門の子として育てられた。故郷への思いを募らせながらも、故国日本へ帰ることは出来なかった。長崎市の聖福寺の境内にあるお春の碑に、吉井勇の句が刻まれている。「長崎の鶯は鳴くいまもなほしゃかたら文のお春あはれと」


 

 お春の望郷の念を愛国心と呼ぶことが出来るであろうか。最近、愛国心が取りざたされている。愛国心にはその国の制度や理念への愛着を感じる愛国心、いわゆる市民的愛国心と土地や血の繋がりに国民のアイデンティティーを求める愛国心、つまり民族的愛国心とがあるといわれている。「愛国心」と言うとなぜか生臭さを感じてしますが、「国を愛する心」と置き換えるとすんなり受入れられるのも不思議だ。ナポレオンは「人間最高の道徳は何か。愛国心である」と言った。ローマ皇帝アウレリウスは「予が人間である限り、余の祖国は世界なり」と。バートランド・ラッセルは「愛国心は些細なことで、進んで殺したり殺されたりすることである」。サミュエル・ジョンソンは「愛国心は、無頼漢の最後の砦である」。それぞれに含蓄のある言葉だ。しかし、チャーチルの言った「母国を愛するものは人類も憎めない」という言葉を肝に命じたい。

 行方不明と思っていたツェリンとモンちゃんが帰ってきた。真っ黒な顔をして、ヘロヘロになって帰ってきた。チベットとの国境、5000mのヒマラヤ山中へ冬虫夏草を採りに行っていたのだ。テントを張り、雪を掻き分け地面に這いつくばって探したそうだ。大変な努力である。収穫は両手に抱えられるほどの量だ。1本1ドルはする高価なものだという。


 

 冬虫夏草とは、昆虫などから出来るきのこの総称だそうだ。世界中には390種ほどあるが、本来はコウモリガの幼虫から出来たものを指すようだ。寄生された虫は、冬は生きているが、その後寄生菌が虫を殺し、初夏の頃から棒状やその他の形状のきのこを形成することからこの名前が付いたとのこと。チベットで薬用として使っていたものが中国に伝わって、普及し始めたと物の本には書いてある。

 ジャガイモの花がとんだ展開になってしまった。