深夜の裸踊り
 

平成18年11月7日


 ジャカールは今がフェスティバル・シーズンだ。外人観光客が多い。日本人観光客もちらほら。ホテルは全て満杯だ。私もこの期間は部屋を空け、観光客に開放することになっていた。しかし幸運にも、1組のキャンセルがあり、部屋を移動せずにすんだ。裸踊りは深夜11時からだという。タシ所長に「見に行きたい」というと「遅いし、寒いし、行きたくない」というので諦めていると、6時に電話があった。7時に迎えに来るという。タシの気遣いに感謝する。ロッジで一緒に食事をして出かける。

 場所はモナストリーという僧院だ。夜店がひしめき合って出店している。土産物屋も多いが、食べ物屋も多い。ブータン工芸品の店に入ってみた。お寺の用具店のような感じだ。仮面舞踊のときに使うホーンのような楽器がおいてある。1本で出来ていると思ったが、釣竿のように伸ばしたり縮めたりできる。持ち運びに便利だ。吹いてみるが「スー、スー」というだけで音にならない。店の娘が教えてくれるが、難しいものだ。唇を振動させて吹くようだ。尺八も「首振り3年」というから、無理も当然だ。タシは顔が広い。あちこちで私を紹介してくれる。事務所の食堂で働いているおじさんと息子が店を出していた。そこで紅茶をご馳走になり、暖を取り時間を待つ。この息子、8歳ぐらいと思うが、よく働く。しかもとてもよく気が付く。時々私の部屋にも紅茶を持ってきてくれるし、昼飯時は忙しく動き回り、気配りが行き届いている。親父さんより出来た子だ。私はいつも「グッド・ボーイ」と呼んでいる。しかし今日は夜も更けてきているため、薪ストーブの脇で座ったまま居眠りをしている。

 寺の中庭が賑やかになってくる。椅子付きの特等席に案内される。先ずは仮面舞踏の始まりだ。隣の席で打ち鳴らすシンバルのような「ジャーン、ジャーン」という音にあわせ踊る。真ん中には天にも上るほどのかがり火が焚かれている。上空には、十六夜の月が煌々と輝いている。きらびやかな衣装とかがり火、シンバルの音と十六夜の月のコントラストが絶妙であった。仮面は鬼の様でもあり、仁王の様でもある。この世の邪気を追い払うためなのか、単調なリズムと踊りが宗教的世界へ誘ってくれる。
 「ジャーン、ジャーン」のリズムに合わせ、本日のメイン・イベント裸踊りの始まりだ。デストロイヤーのような白いマスクをした丸裸の一団が入ってきた。何とコンドームを膨らませた風船をおちんちんに付けているではないか。びっくり仰天である。何やら訳の分からない踊りをしているが、寒さのため直ぐに火の周りに集まってします。氷点下2〜3度は行っているだろう。コンドーム風船を振り回すもの、男女の営みの仕草をするもの、観客にペニスを突きつけるもの、マスターベーションをするものまで現れ、何とも滑稽というよりは異様な雰囲気になってきた。この深夜の裸踊りを見るために、ホテルが満杯になりほど海外から観光客が集まるのだろうか。信じがたい光景である。しかもここは寺院。修行僧のお寺なのだ。宗教は禁欲を旨とするとされているが、この性の解放は、いったいどう理解すればいいのであろうか。

 寒さが手伝い、便意を催す。タシに「トイレに行きたい」と言い、頃合いを見計らい、退散する。最早我慢できない。畑に駆け込み、十六夜の月を見ながら頑張る。ちり紙を持ってきていない。ハンカチで拭くかと思ったが、意を決しパンツをあげる。畑のバラ線にけ躓く。蟹股歩きでタシの車に乗り込む。さっぱりしたもののお尻がむずむずする。腰を浮かせぎみにして帰る。シャワーを浴び、お尻をきれいに洗う。ちょっと汚れたパンツをロッジのお手伝いに洗わせるわけには行かない。真夜中の洗濯である。何だか、めまいもしてきた。薪ストーブをがんがん燃やし寝てしまった。

 タシを無理やり裸踊りに連れ出し、ウンチの世話までなるとは情けない。ちょい悪おやじどころかちょい悪餓鬼だ。しかしなんとも異様な光景であった。これも宗教なのだろうか。1度の経験はいいとして、2度は見る必要はない。冴え渡った十六夜の月はこの世のものとは思えないほど美しかった。


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