インディオの暮らし

 

 「チンボラソ県における貧困削減のための持続的総合農村開発プロジェクト」がスタートした。農業、保健衛生、教育、自然環境保全にわたるマルチセクトラルな協力支援だ。その一環として、我々の活動もインディオの村に行くことが多くなった。

 チンボラソ県にはカントンという10の郡があり、郡の中にパロキアという教会区がある。されにその下にコミュニティーがある。インディオの村は概ね幹線から外れ砂利道を登り、3500〜4000mのところにある。農耕が営めるところは比較的豊かだが、牧畜が主体のところは貧しいようだ。

 リオバンバの近くでは、インディオの女性は比較的地味な巻きスカートをはいているが、南に下るに連れてフレアスカートのような赤や緑の派手なポシェーラに変わる。パナマ帽を被り、鮮やかなスカーフを巻いているのは変わりない。日本人に似て控えめで恥ずかしそうな素振りだが、働き者だ。妻として、母として、労働者として家計を支えている。それでいて女性の地位は低い。子供は家畜係としてよく働く。シャイで、洟垂れで、垢まみれだが可愛い。貧しさが女や子供に負担を強いているようだ。ジェンダーと教育が課題のようにも見える。キチュア語が一般的で、村集会を開いてもリーダーがキチュア語で再度説明している。

 

    集会に集まったインディオたち

 

     インディオの子供と羊たち

 インディオの家屋は少なくなったとはいえ、草葺の屋根を所々で見かける。中を覗くと、土間で囲炉裏があり原始時代を思わせるが、今は台所として使っていて寝起きはしていないようだ。時々食事を振舞われるが、キヌアという粟のようなスープであったり、ご飯とジャガイモのゆでたのに鶏肉がのっていたり、時たまクイの姿焼きが出たりもする。地域によってまちまちだ。飲み物もセバダという大麦を粉にした麦芽飲料のようなものや、ミントのようなハーブを煎じて飲ませてくれたり、ブータンでのバター茶で懲りているので用心して飲んでみるが、結構飲める。しかし11月2日の死者の日に飲むという大豆の粉で作ったようなどろっとしたコラーダ・モラーダを無理して飲んだ時は、2〜3日腹の調子が悪かった。

 街角ではインディオがケーナやサンポーニャ、チャランゴでフォルクローレを奏でているのを時々耳にするが、インディオの村では未だかって聞いたことがない。歌や踊りとは無縁のように見えるのは一体どうしたことか。エクアドルの音楽はジャンルも色調も豊かで多彩だと聞く。フォルクローレを中心とするシエラの音楽、「素焼きの瓶」や「アタワルパ」は日本でも良く知られているというが聞いたことはない。更に黒人系のアフロ音楽、「パシージョ」と呼ばれるメスティーソの音楽がある。

 インディオの村には家畜が多い。牛に豚、羊、鶏、ロバにクイなどだ。牛は主に農耕用に、ロバは運搬用に使われているようだ。豚が縄で繋がれ、牛と一緒に草を食んでいる姿は何とも滑稽である。

 インディオはキチュア族が大半を占めるが、シエラの他にオリエンテにも居住している。オリエンテにはワオラニ族、コスタにはチャチ族など8部族がいると言われている。混血が進み、最早どれがインディオでどれがメスティーソなのかなかなか見分けが付かない。服装を見て判断するしかない。

 我が家の掃除婦はメスティーソだが、6歳ぐらいの女の子と2歳ぐらいの女の子を連れてくる。掃除洗濯をしている間、私がこの子達の面倒を見ているが、2歳の子は聴き訳がないが6歳の子は「家の中に入りなさい」と言っても決して入らず2歳の子を抱いてドアの前で待っている。何ともやりきれない。インディオに限らず、貧富格差は大きいようだ。

 このプロジェクトが成功することを願わずにはいられないが、インディオの貧困対策に多少の手助けが出来ればと気持ちを新たにしている。

 

平成20年11月25日

須郷隆雄





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