エクアドル便り103号

長寿の谷ビルカバンバ

 

寒い朝だ。ロハには寒いというイメージはなかったが、リオバンバ以上に寒い。ペルーを襲った大寒波の影響だという。ロハから南に41km下ったところに、キチュア語で「聖なる谷」と言われるビルカバンバがある。ペルーにも同名の町がある。マチュピチュを発見したハイラム・ビンガムは、ビルカバンバこそマチュピチュだと信じていた。

マイクロバスに揺られ、ビルカバンバに向かった。元気なフランスのおばさんが隣の席に乗り込んできた。スペイン語を勉強するため6週間、エクアドルに滞在しているという。ひどいフランス語訛りではあるが、私以上に堪能だ。英語を勉強するためオーストラリアにも6ヶ月滞在したという。指輪はしていない。未婚なのか、離婚なのか、とにかく1人もののようだ。滞在型ホテル・イスカイルマで、暫く休暇を楽しむとのことであった。欧米人は老後の過ごし方が上手だ。「濡れ落ち葉」や「粗大ごみ」には決してならない。まだまだ日本は老後の楽しみ方では、先進国とはいえないようだ。出会いの記念に写真を取り合い、別れた。

教会のある中央広場に行く。静かな落ち着いた佇まいだ。広場の向かいに観光案内と日本語で書かれたインフォメーションがあった。興味をそそり、入ってみた。韓国の海外協力機構コイカの女性がボランティアとして働いていた。町の地図はないという。代わりにクエンカの地図を渡される。クエンカは必要ないが、有難く受け取った。なかなか感じのいい女性だ。

  

       大谷孝吉病院                  コイカのボランティア

ビルカバンバは標高1753m、2034mのマンダンゴ山など山また山に囲まれた温暖で風光明媚な「長寿の谷」とも呼ばれる別荘地だ。ドイツ人やフランス人など欧米人が経営するペンションやレストランも多く、公園や食堂で寛ぐ欧米人をよく見かける。グルジア共和国のコーカサスやパキスタンのフンザとともに世界三大長寿村と言われる。チャンピ川とウチマ川の水がコレステロールを取り除きリューマチを治す効能があり、「医者いれず」の村とも言われる。その秘密を探るべく、世界の医学関係者がこの地にやってくる。

小さいが綺麗に整備された村だ。子供たちに「大谷孝吉病院は何処」と聞くと、「ほら、あそこに見える建物だよ」と薄緑色とクリーム色の建物を指差してくれた。玄関にはスペイン語と日本語で「大谷孝吉病院」と表示されていた。左の壁に「本建物にはジャパンヒルズ運営委員会委員長工学博士大谷孝吉氏を通じ、日本万国博覧会記念協会からの補助金が寄贈されています。1980年7月1日」とのレリーフもあった。大谷博士(星薬科大学理事長)は1975年に始めてこの地を訪れ、長寿村への関心を募らせた。1977年からビルカガンバ調査が始まり、翌年長寿研究のための「ジャパンヒルズ」が設立され、1980年に病院が完成した。その貢献に報い、「大谷孝吉病院」と命名された。エクアドル名誉総領事を委嘱されたこともある。

長堀善作博士(浦和博仁会共済病院長)の著書「長寿の秘訣」に、「ビルカバンバの人々は気候温暖、太陽の光に恵まれ、清浄な空気の下、社会的精神的ストレスのない、あらゆる公害からまぬがれた静かな大地に、平和な生活を営んでいること、それに健康に良い水をとり、簡素ながら消化栄養に良い食生活を楽しみ、また健康の保持に役立つ薬用植物にも恵まれていること等々、これで長生きしないのはおかしい」と記している。

大谷孝吉病院のせいか、日本人に優しい雰囲気を感じる。ジャカランダが紫の花をつけていた。落ち着いた軽井沢のよう村だ。「眠れるインカ」とも言われるマンダンゴ山の切り立った岩壁が薄空に聳えて立っていた。瀟洒な佇まいの文化センターで、欧米人がお茶を飲み、スケッチを楽しんでいる。馬に乗って通りを闊歩している。中央広場のレストランは欧米人ばかりだ。エクアドルという印象は薄い。昼食にレストランに入ると、英語訛りのスペイン語で注文を聞きに来た。店の中は英語が飛び交っている。居心地が悪い。アメリカサイズでとても食べきれない。観光産業もアメリカ人が牛耳っているようだ。慎まねばならない。

雨がポツリ、ポツリと降ってきた。日本人の足跡に触れた感慨と欧米人の別荘地に変わりつつあるビルカバンバに複雑な思いを感じつつ、小雨煙る山道をロハへと戻った。適度な酸味とライトボディーの甘い香りのビルカバンバ・コーヒーで体を温めた。

 

平成22年7月30日

須郷隆雄