エクアドル便り104号

シスネのマリア

 

寒い朝だ。8時半、午前中1本しかないバスに乗り、ロハから70kmの山あいにあるシスネに向かった。山また山を越えて行く。神々しい峰々が連なっていた。途中カタマジョで給油し、再び山を登って行く。小さなサン・ペドロの町を通過し、山並みをシスネへと進む。車中で帰りの切符が売られる。12時半の出発だ。それ以外は最早バスはない。10時半に到着した。滞在時間は2時間だ。猶予はない。山の頂き近くに白鳥のような煌びやかな教会が忽然と姿を現した。

シスネはマリア伝説の村だ。シスネ教会の他には何もない。言うならば門前町といった感じだ。マリアの恩恵により信者と観光客で潤っている。

1594年、シスネの村は日照りと旱魃が続き、疫病が蔓延し、多くの村人が亡くなった。この恐ろしい光景が今後も続くのであれば、最早この村に住み続けることは出来ない。村を捨てることを決意した。しかし村を離れるのは忍びない。そこで、「ここにマリア様の聖地を建設するので、疫病を鎮め、雨をもたらし、肥沃な土地に戻して欲しい」と願いを掛ける。マリアはこの願いを聞き入れ、その年の10月12日に雨を降らせ、肥沃な土地が甦った。シスネの村人は村を捨てずに済んだ。シスネに今も伝わるマリア伝説である。

  

    シスネ教会                 ロブレス作マリア像(中央)

シスネのマリア信仰はこの時から始まった。最初はパハの草で葺いた慎ましい小さな祠であった。次に瓦で葺いた明るく広い祠に変わった。1750年にはキトの学校をイメージした大きな建物になった。そして1934年8月15日に建設が始まり、44年の歳月を掛け1978年11月17日に完成した現在の大聖堂は、ラテンアメリカで極めて重要な巡礼地となった。1980年に法王フアン・パブロ二世は貴重な教会としてバシリカの尊称を与えた。

毎年8月15日をシスネのマリアの日として大祭が行われる。8月1日から9月12日までを特別な日として、世界中から巡礼者が訪れる。マリア像は8月17日にシスネを出発し22kmの道のりを歩いてサン・ペドロに運ばれ、18日に12km離れたカタマジョに到着する。更に36kmの山道を越えて20日にロハのカテドラル、マトリス教会に安置される。11月1日から17日まで、再びカタマジョ、サン・ペドロを経てシスネに戻るというシスネ教会の建設に因んだ大行脚を行う。

シスネのマリア像は、スペインの彫刻家ディエゴ・デ・ロブレスがメキシコのグアダルペのマリアをイメージし、シスネ住民の願いを込めてヒマラヤ杉に黄褐色のマリアを掘り込んだものと言われる。決して大きな像ではない。

シスネとは白鳥のことだ。薄いブルーと白に金色をあしらったまさに白鳥のような教会だ。回りは土産物売りの出店がぐるりと取り囲んでいる。成田山や浅草を小振りにしたような雰囲気だ。掃き溜めに鶴といった感じである。教会内は大祭前のため比較的人は少ない。マリア像も思ったより小さい。しかし建物は大きい。入り口に「La bendicion de Dios y de la Virgen Maria lo acompanen siempre(神とマリアの祝福あれ)」と記されていた。外壁には無数の白鳥が飾られている。賛美歌が遥か山並みに木霊していた。

他に見るべきものがある訳ではない。2時間は結構長い。エンパナーダを食べ、モロチョを飲みながら屋台のおばさんと喋くっていた。帰ってから気が付いたことだが、トラックのフロントガラスの上に「REINA DE CISNE(シスネのマリア)」と書かれていることの多いのに驚いた。交通安全や厄除けの効果もあるのだろう。

 

平成22年8月1日

須郷隆雄