エクアドル便り11号

掃除婦は働き者

 

 炊事洗濯掃除の苦手な私は、またもや掃除婦を雇った。大家の紹介だ。年の頃、34〜5か。結構老けて見える。2歳と6歳ほどの女の子を連れてくる。メスティーソだ。

 火曜と金曜の週2回。夕方4時から6時との約束であったが、子供の関係か仕事の関係か、朝8時に来ることになってしまった。まだパジャマでいたり、食事中であったりで、ちょっと困っている。しかも出かける時はまだ掃除中で、戸締りを頼んで出るしかない。出勤前の忙しい時間帯なので変えれば変えられるのだろうが、いつものいいかげんさで「まあいいか」と諦めている。

 しかしこのおばさん、なかなかの働き者だ。しかもやることが丁寧できちっとしていて、満足している。

 来るなり、洗濯物を持って屋上の洗濯場に上がり、子供を遊ばせながら洗濯機を回す。その間にトイレ、風呂、床と手際よく掃除をする。洗濯物を干し終わると今度は前回洗った洗濯物のアイロンかけだ。私は邪魔にならないようにあちこちの部屋に移動したり、子供に泣かれないように飴を上げたり、あやしたり大変だ。最後は流しを掃除し、ベッドメーキングをし、たまったゴミを持ってお帰りとなる。その間およそ2時間。必殺掃除人である。

 

            必殺掃除人

 
  

      掃除人の仕事場

 エクアドルでは概ね洗濯場は屋上にある。しかも部屋毎に仕切られ、しっかりと鍵もかかる。襟などの汚れたところは、先ず石鹸で手洗いをしてから洗濯機にかける。日差しが強いためか、靴下やパンツまで裏返しにして干す。なかなか徹底している。ラテン系とはとても思えない。インディオの血であろうか。まだ掃除機は普及していない。

 或る日、ラコステのポロシャツが盗難にあった。そのことを掃除のおばさんに話すと「申し訳ありません」と困った顔をしていた。翌日洗濯場に行ってみると、鍵のかかる洗濯場所に針金が張られ、そこに全ての洗濯物が干してあった。何とも徹底した管理振りだ。

 しかしそれに引き換え、ここの大家はかなりいいかげんだ。家具を揃えるということで、2か月分の保証金と通常の2倍以上の家賃を払うことにしたが、持って来る家具は細切れで、使い古しが多い。テレビは色が悪いし、音も割れている。机はラップトップ型のコンピューター机を持ってくる始末。新しいものは、これ以上安いものはないと思われるような代物ばかり。何とも困った大家だ。すったもんだの末、ようやく何とか形は整った。しかしインターネットはまだ入っていない。エクアドルにも色々な人種がいる。

 日曜日には散歩をかねて、時々近くのサン・アントニオ教会へ行く。敬虔な信者が多いと見えて、いつも満員だ。見渡すと概ねメスティーソ。掃除のおばさんも子供を連れて、来ているのかもしれない。多分、大家は来ていないだろう。法話の合間に賛美歌、1週間の怠惰な生活を懺悔するにはいい空間だ。ゆっくり話すのでスペイン語が解り易い。一石二鳥だ。最後に、棒の先に袋の付いた虫取り網のようなものを持って、賽銭集めに来る。教会もなかなか抜け目がない。終わると信者たちは互いに握手をしあう。私にも握手を求める。照れくさいが、人類皆兄弟。宗教には教会はあっても境界はない。

 教会の前には、物乞いが列を成している。この人たちを救うことのほうが先だと思うが、駅前にも靴磨きがこれまた列を成している。「ガード下の靴磨き」を思い出させる。物で心の豊かさは買えないと思うが、貧富の格差を解消する必要がありそうだ。

 「カエルの子はカエル」というが、必殺掃除人の子供たちには明るい未来が開けることを願っている。

平成20年12月5日

須郷隆雄




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