エクアドル便り111号

キトから成田へ

 

早朝4時、キト国際空港は搭乗客でごった返していた。今までにこれほど込んだ搭乗手続きはなかった。30kg近いスーツケースを2つ、持ち歩くのも大変だ。共に重量オーバーで、税込み112ドルを追徴される。既に搭乗が始まっていた。更に呼び出しを受け、搬入口でスーツケースの取調べを受ける。「怪しいものは入っていないよ」と言いたいが、ぎゅう詰めのスーツケースを開けられる。出発は6時40分、ぎりぎり最終の搭乗となった。仲間から、「逮捕されたと思った」との声がかかった。

ヒューストンまで5時間半のフライトだ。機内は最早アメリカだ。英語が飛び交っている。仲間から「マンガ孔子の思想」を渡され、ぱらぱらとめくっていた。「知者は惑わず、仁者は憂えず、勇者は懼れず」なるほど。「朝に道を開かば、夕に死すとも可なり」そこまでは割り切れない。「女子と小人は養い難し」これを今の世で言ったら、袋叩きだ。

孔子は紀元前500年ごろの儒教の始祖だが、儒教は「仁」という人道の側面と「礼」という家父長制を軸とする身分制度の双方を持つといわれる。毛沢東による文化大革命では、孔子は封建主義を広めた中国史の大悪人とされた。しかし、紀元前の大思想家のことである。大悪人はないだろうという気もする。孔子の子孫は400万人を越えるとも言われる。同年代の思想家に老子がいる。万物の根本を「道(タオ)」とする道教の祖だ。人為を廃し自然であることが道に通ずるとする「無為自然」、理想の生き方は水のようなものとする「上善如水」という言葉がある。年のせいか、孔子より老子に共感を覚える。

  

      ニューストン国際空港                   丸い虹

テキサス州ヒューストンへ定刻に到着した。時差はない。蒸し暑い。入国手続きで英語が出てこない。スペイン語とのごちゃ混ぜ英語でシェラトンホテルに向かう。綺麗な町並みだ。ゴミ1つない。コロンブスが発見した同じアメリカ大陸とは思えない。南米との経済格差の大きさを感じる。今アメリカでは、ヒスパニック系の不法入国が問題になっている。ホテル近くの生ビール店に行く。ヤンキー娘の笑顔の歓迎を受ける。ビールもうまい。腹ごしらえにピザ店へ行く。対照的にサービスが悪く、かわい子ちゃんもいない。夜、シーフードの店に案内された。大変な繁盛ぶりだ。水槽には活魚が泳いでいる。しかし揚げ物が多く、生ものはない。設備もサービスも整ったホテルの浴槽で、のびのびと手足を伸ばし、ヒューストンの一夜が静かに過ぎていった。

朝7時に漸く明るくなる。10時50分発、同じコンチネンタル航空でヒューストンを後にした。13時間半の長旅だ。隣の席は空席、ラッキーである。日本語の案内に、最早気分は日本だ。食事メニューまで配布され、箸まで付いてくる。きめ細かい日本的サービスに、日本とはこういう国なんだと改めて実感する。

太陽を追いかけ、ひたすら西へ、日本へと飛ぶ。大西部を過ぎ、西海岸を越え太平洋に入る。山田洋次監督、吉永小百合と鶴瓶主演の「おとうと」を、涙を流しながら見ていた。戦後の昭和に生まれた出来すぎた姉と出来損ないの弟の固い絆を通して、日本の家族の姿を映し出している。ポール・ニューマンとロバート・レッドフォード主演の「明日に向かって撃て」は、バート・バカラック作曲の主題歌「雨に濡れても」と列車強盗を繰り返す2人のラストシーンのストップモーションが印象的だった。「バーニョ」とついスペイン語が、「いやトイレは」と聞き直すと「トイレはこちらです」と日本語が返ってきた。再び映画三昧だ。「風と共に去りぬ」南北戦争下のジョージア州アトランタを背景にスカーレット・オハラの半生を「タラのテーマ」に乗せて壮大に描いた作品だ。奴隷制批判から、「風なんぞもう来ねえ」という本が著されたことがある。実在のイギリス陸軍将校トーマス・エドワード・ロレンスが率いた、オスマン・トルコ帝国からのアラブ独立闘争を描いた歴史映画「アラビアのロレンス」を最後に、成田上空にたどり着く。

定刻より早い日本時間午後2時、時差14時間、無事日本に到着した。女房と息子の出迎えを受け、真夏日の成田から金木犀の香る懐かしの我が家へ戻った。「たどり着いた」という安堵感より、「疲れた」という疲労感のほうが優っていた。何時もは決まってすき焼きだったが、今回は刺身と煮物だった。仕上げは納豆ご飯で、「これが日本だ」と実感した。

塵一つない美しい日本、食べ物の美味しい日本、しかし街行く人々が2年前より更に暗く無表情なのはどうしたことか、気になった。

 

平成22年9月21日

須郷隆雄