エクアドル便り24号

オリエンテの梅雨

 

 オリエンテのナポ県チャコという町に行くことになった。アマゾンの入り口の町だ。近くにはスマコ国立公園もある。アマゾン乳業プラント近代化プロジェクトの一環として、初めての1泊2日の出張だ。統一マークの設定、工場環境の整備、作業着・備品・器具等の充実などと、それに対する予算配分である。オリエンテと聞いて、ちょっとうきうきした気分で出かけた。

 キト手前を右に折れ、一路東へと進む。ルイスとカルロスが交代で運転している。私は後部座席で、デジカメ片手に観光気分だ。

 前日、ルイスから「オリエンテに出張するが金がない」「費用を面倒見てくれないか」と頼まれる。「いくら必要なんだ」と聞くと、「60ドルだ」と言う。「任しておけ」と気楽に了承する。何しろ政府とCESAからの補助金団体だ。貧乏所帯である。出張費用もままならないようだ。しかし出歩かないことには情報も集まらないし、仕事にならない。出張貧乏になりそうだが、やむを得ない。

 

               パパジャクタ湖

 

         果てしなく続くパイプライン

 次第に温かさが増してくる。緑が濃くなる。真っ赤なダリアが咲いている。エクアドルでダリアを見るのは初めてだ。ダリアは夏休みの思い出と重なる。絵日記やスイカ、セミの声にダリアは欠かせない。しかしエクアドルではセミの声を聞いたことがない。

 ラジオからビートルズの「レット・イット・ビー」が流れている。山間の道をぬって進む。植生が変わる。最早ユーカリはない。ガスが立ち込めてくる。吹きさらしで、岩だらけの霧雨に煙る荒野、パラモが続く。やがて忽然と霧の中にパパジャクタ湖が現れる。摩周湖ほど神秘的ではないが、霧の立ち込めた湖面は幻想的でもある。

 次第に高度を下げていく。緑は益々深くなる。夏だ。しかしセミは鳴いていない。幾つもの急流を越えて行く。滝が幾筋も流れ落ちている。河原に、山肌に牛が悠然と草を食んでいる。赤さびた石油のパイプラインが道路沿いに果てしなく伸びている。所々に石油基地、製油所もある。チャコに到着。最早午後4時だ。リオバンバを発って8時間になる。小さな町だ。標高は1900m。アマゾンの気配はない。チャコ役場で出迎えを受ける。夕暮れのチャコは何とも寂しい。人通りもなく日本の山村の風景を思わせる。街灯が郷愁を誘う。

 ホテルに1夜の宿を取る。宿場の宿屋といった雰囲気だ。女将が部屋に案内してくれる。かび臭い。昼飯を食べたレストランもかび臭かった。しかしここはアマゾンへの入り口でもあり、スマコ国立公園とも隣接し、湖や温泉もあることから外人観光客が多い。湿った空気とかび臭さで一夜を過ごす。夜半過ぎ、しとしとと雨が降り始めた。オリエンテも梅雨を向かえたようだ。

 アマゾンには歴史がないと思われがちであるが、決してそうではない。フランシスコ・ピサロのインカ帝国征服後、黄金を求めるスペイン人の目はアマゾンに向けられた。アマゾン先住民の受難の歴史はこの時から始まる。砂金やシナモン、カカオ、龍舌蘭の採取のための植民地化がなされた。これも野蛮な「人食い人種」の「魂の救済」という名目で宗教的に正当化された。「神の名において侵略を正当化した」と言ってもいいだろう。80%の先住民が消滅したとも言われる。

 やがて「ゴムブーム」という悪夢が再びオリエンテを襲う。そして大規模な「石油開発」へとオリエンテの受難の時代は続く。近年になって漸く内外の環境・開発NGOによる関与が深まり、苦難の歴史に終止符が打たれようとしている。「永遠のアマゾン」というユートピア幻想だけでなく、過酷な歴史の足跡をしっかり認識しておく必要もあろう。

 脳天気にアマゾン観光とうつつを抜かしているだけでなく、自省の念を込めて、過酷な先住民の歴史を踏まえてアマゾンを見てみたいと思う。

 

平成21年1月27日

須郷隆雄