エクアドル便り29号
雲海のピチンチャ
ピチンチャ山はキトの西に聳え、キトの町を見守っている。標高4675mの活火山だ。
麓は小雨交じり。登ることを躊躇したが、意を決して出かけた。リフト乗り場は閑散としている。往復搭乗券を4.5ドルで購入。待つことなしに乗り込む。6人乗りのゴンドラだ。標高差1300mをゆっくりと登っていく。視界が開ける。キトの町が遠ざかっていく。ユーカリから潅木へと植生が変わっていく。遥か彼方にキトの町が雲間に見える。パハだけのパラモに変わる。15分ほどの遊覧で終点テレフェリコに到着だ。標高は既に4000mを越えている。雲上の高原が、駒ヶ根の千畳敷のように広がっている。東にはキトの町並み、西にはピチィンチャが槍ヶ岳のように天を突いている。雲が這い上がってくる。時々太陽が顔を出す。
ルピナス
パハの細道を登っていく。雲が両側から吹き上げてくる。濃い霧のドームに入ったようだ。しかし天候は刻々と変わる。濃霧の中を歩いていると、かつて大雪の旭岳に登ったことを思い出す。その時会った登山家がエベレストの話をしてくれた。汗が出てくる。高圧線の鉄塔まで行ってみた。標高4160mと記されていた。ピチンチャは目前だ。標高差515mだ。しかし3時間はかかる。雲がひっきりなしに昇ってくる。雲の切れ間に時々見せる青空が目にしみる。パハに腰を下ろし、雲上の大自然に身をゆだね、薄い空気を胸いっぱい吸う。泰山を望むカエルのように、雲の切れるピチンチャを待った。ピチンチャもそう簡単には顔を出さない。根競べだ。やがてその雄姿を現す。鏃のように紺碧の空に突き立ったその雄姿は、美男におわすものだ。コンドルが2羽、舞っていた。次は必ず山頂まで行くことを約束し、ピチンチャに別れを告げた。
再びパハの細道を戻る。テレフェリコのリフト搭乗口の近くに可愛らしい山の教会が建っていた。昨年の12月13日に出来たばかりの教会だ。「山の教会へようこそ。この小さな教会は、信仰と平和と愛の場です。聖母マリアはあなた方へ語りかけています。『エクアドルに、学校に行けない子、生活の出来ない家族、仕事のない労働者、適切な待遇を受けられない病人や老人がいる間は、誰も安らぎを感じることは出来ない』ファン・パブロ2世」と書かれた看板が掲げられていた。なるほど。言われるとおりだ。日本なら、結婚式の教会として大繁盛しそうなところだ。
ゴンドラを降りるとインディオの青年がケーナを奏でている。手を振ると「サヨナラ」と日本語で応えてきた。
町に戻ると「禅」という字が目に留まる。日本食堂のようだ。「ベジタリアン」とも添え書きされている。「一汁一菜」のつもりなのだろうか。とにかく入ってみた。昼飯を頼むと、エクアドルのアルムエルソ(昼食)だが、一味日本風でもある。給仕のお姉さんに「ここは日本レストランか。あそこで孫と遊んでいる人はご主人か」と聞くと「そうだ」という。帰りがけ、「ご馳走さま」と言ってみたが、反応はなかった。しかし目は何時までもこちらに向けられていた。日本では月に一度、禅寺で座禅を組んでいる者として、「禅」と付けた訳を聴いてみたかった。
色々説明してくれ、写真まで一緒に取った馬引きのルイス、山の教会、「サヨナラ」と応えたインディオのケーナ吹き、日本食堂「禅」のお爺ちゃん、それにもまして雲間に顔を出したピチンチャとの出会い。いい1日だったと、出会いの不思議をかみ締めながら帰りのバスに揺られていた。
平成21年2月25日
須郷隆雄