エクアドル便り32号

弥生の雲

 

 雨季明けは5月頃と聞いているが、ここ暫く晴天の日が続いている。晴れると温度は急速に上昇し、23、4度になる。しかし曇ると途端にセーターが欲しくなる。赤道直下とアンデスの高地による天候のアンバランスといったらいいのだろうか。昼夜の温度差は体に応える。

 雨季は冬だという。季節的には赤道直下とはいえ、我々の住むリオバンバは南緯2度ぐらいに当たるので、それからすれば夏なのだ。いずれにしても50歩100歩ではあるが、比較的寒い雨季を冬というのもうなずける。

 日本の3月は草木が芽吹き、地中に眠っていた虫たちが地上に這い出す、まさに「March」の季節だ。Marchはローマ神話の戦の神Marsの月を意味するMartiusから取ったものだそうだ。弥生3月、草木が生い茂る月「木草弥や生い月(きくさいやおいづき)」がつまって「やよい」になったという説が有力だ。他に、花月、花見月、夢見月、桜月などの呼び名がある。夢見月は「春眠暁を覚えず」といったところか。季節感のないエクアドルにいると、生活にめりはりが無くなり怠惰な生活に陥りやすい。

  

        入道雲といわし雲                          湧き上がる雲

 しかし、雨季の合間に見せる夏空は刺激的だ。強い日差しと抜けるような紺碧の空。立ち上る入道雲。更にその上にはいわし雲がたなびいている。夏と秋が混在したような雲の配置だ。雲を題材にした和歌や俳句は多いと聞くが、雲には人の心を魅了する何かがありそうだ。飯田蛇笏の「いわし雲大いなる瀬をさかのぼる」という句があるが、そこで一句。

 「入道のうえを泳ぐはいわしかな」

山頭火の句に、「ころり寝転べば青空」というのがある。草むらに寝転んでひねもす白い雲を眺めていたいものだ。子供の頃はよくそうしたものだ。雲を追っているといつの間にか雲に乗った気分になり、そのうち眠ってしまった。もう一度その気分を味わいたいと思うが、その後一度もそうしたことが無い。いつでも出来そうで出来ない。年のせいなのか、慌しい世相のせいなのかは解らない。

 昨年101歳で亡くなられた児童文学作家の石井桃子さんには、「ノンちゃん雲に乗る」がある。戦後の混乱期にあって、戦争を挟んで中流家庭のありようを爽やかに、ほのぼのと描いている。

 我が青春時代に口ずさんだ曲と言えば、黛ジュンの「雲にのりたい」ではなかっただろうか。

雲にのりたい やわらかな雲に

希みが風のように 消えたから

わたしの胸に つのる淋しさは

愛するあなたにも わからない

どうして みんな恋しているんでしょう

はてない 涙のなかで

だから ひとりで

雲にのりたい やわらかな雲に

知らない街角を みたいから

雲には郷愁を誘う不思議な魅力がある。

 

平成21年3月18日

須郷隆雄