エクアドル便り35号

世界遺産サンガイ

 

 エクアドルには世界遺産が4つある。自然遺産第1号のガラパゴス、文化遺産のキト旧市街、クエンカ旧市街それに自然遺産サンガイ国立公園だ。

 サンガイ国立公園は1983年に世界自然遺産に指定された。モロナ・サンチィアゴ、チンボラソ、トゥングラウアの各県に跨る2720ku。サンガイ、トゥングラウア、アルタールなど5000m級の山々を望む。標高差は800mからサンガイ山頂5230mまでの4430mだ。荒涼としたパハだけが生えるパラモ地帯、急斜面の雲霧林帯、800m付近の熱帯雨林と、植生も豊富だ。40種以上のオウム、ジャガーやメガネグマ、ヤマバクなど稀少種も棲む。1992年に公園内を縦貫道建設計画が持ち上がり、危機遺産に登録されたが、計画中止により2005年にそのリストから除外された。

 旅行代理店を訪ねると、セマナ・サンタ(聖週間)の連休のため既に空きはないとのことだった。コースを変え無理やり頼む。出発は7時とのこと。しかし急遽朝4時に変更になる。玄関まで迎えに来たが、乗り換えた車は麓の村グアルグアジャ・チコ行きのトラックだ。助手席に乗り込む。不安がよぎる。漆黒の山道をひたすら登る。右に左に体が揺れる。山深い腸捻転を起こしそうな山道を登る。次第に空が白んでくる。朝日が昇る。山肌に民家がへばり付いている。7時半、朝靄に煙る最果ての村、グアルグアジャ・チコに到着した。

  

     村の子供たち                         馬に揺られて

 そこは小学校と集会所と宿泊所が一緒になったような、小さなコミュニティーだ。リオバンバから運んで来た荷物を取りに、村人が集まってきた。遠来の客に村人が挨拶し、握手を求められる。子供たちも集まってくる。どの子も決まって「ブエノス・ディアス」と挨拶する。牛乳を運んでロバがやってくる。町への荷物を積んで、トラックは再びリオバンバへ戻っていく。村と町を繋ぐ1日1回の宅配便だ。ガイドと料理のお姉さんが朝食の準備をしている。少女がロバに、町から来たパイナップルの入った麻袋を積んでいる。歩いては横にずれる。それをまた直し、そしてまた直しながら山道を帰っていった。村の子は、はにかみながらも人懐っこく寄ってくる。村の長老、ベネディクトが花の名や薬草の説明をこと細かにしてくれる。ユーカリの香りのシャワーを浴びて心地よい。山肌に牛が放牧され、牧歌的な心和む光景だ。しかしトイレ、今晩泊まるカビナス(宿所)を見ると気が滅入る。朝食を済ませ、弁当を用意していよいよ出発だ。

 馬に跨り、山道を登っていく。村人が手を振る。ガイドを先導に、人馬一体、なかなか躾のいい馬だ。雲の切れ間に、わずかにサンガイ山頂が見える。8000haのパラモの草原を進む。昨夜の雨で馬も歩きにくそうだ。お尻に心地よい振動を感じつつ、世界遺産の大自然を満喫しながら進む。次第に雲行きが怪しくなってきた。200頭はいるだろうか、アルパカの群れに遭遇する。アルパカと共に昼食を取る。馬ものんびりと草を食んで休憩だ。パハの草むらに寝転ぶには寒すぎる。中国の奇山秀水といわれる桂林のような水墨画を思わせる山々が連なっている。

 更に馬を進める。お尻の振動も心地よいとは言えなくなってきた。「ユラク・ルミ」が見えてくる。「ユラク・ルミ」とはキチュァ語で、白い岩という意味だ。スペイン語では「ピエドゥラ・ブランカ」と言う。かつてはコンドルの住処で、その糞で岩が白くなっていたとのことだ。当時はコンドルが大空を乱舞していたことだろう。しかしその後の乱獲や環境の変化で、今や2羽のつがいがいるのみだ。かつての白い岩は黒々と、コンドルの墓標のように天を突いて立っている。晴れれば上昇気流に乗って我々を迎えてくれたであろうが、雨が降り出しそうな天気。静かに昼寝のようだ。

 山を降りていく。霧雨が降り始めた。ポンチョを被り、手綱を締める。しばし無言で馬に身を任す。馬に乗っている時に、いい考えが浮かぶと先輩から聴いたことがある。「鞍上の考」というそうだ。いい考えは浮かばなかったが、なぜか「夜霧の彼方へ〜、別れを告げ〜」「つきせぬ乙女の〜、愛のかげ〜」と「ともしび」を口ずさんでいた。「枕上の考」「雪隠の考」「湯船の考」更に「腹上の考」というのもあるそうだ。女を抱いているときにいい考えが浮かぶのだろう。暢気に「鞍上の考」を楽しんでいると、やがて見下ろせば千尋の谷。馬も足を取られまいと真剣なら、乗る方も鐙を踏みしめ鞍にしがみつく。義経の鵯越や一の谷の戦いのような訳には行かない。悪戦苦闘の末、漸くガイドの両親が住む家に到着した。そこでアルパカの毛織物の実演をガイドの奥さんが見せてくれた。まだ21歳、可愛い妹のように見えた。疲れとお尻の痛さで、説明はうわのそら。人馬一体と言うが、たった1日を共にしただけで、最早他人とは思えない。馬と熱い別れをして、谷底まで降り、川を渡りまた登り、コミュニティーに戻った。

 夕食を済ませると、7時から歓迎のレセプションだと言う。暫し、かび臭い2段ベッドのカビナスで疲れを癒す。しかし癒される雰囲気ではない。村人が集まってきた。村長さんが挨拶し、紹介を受け、アルコールらしきもので乾杯。若き女性が揃いの民族衣装で入場。インディヘナの踊りを披露してくれた。山高帽に緑のポンチョ、白いブラウス。可愛く美人揃いだ。手を引かれ一緒に踊る。子供をおんぶしたご婦人からポシェーラのような可愛いアルパカの織物を頂く。村を挙げての歓迎だった。

 他にすることはない。9時には、かび臭いベッドにもぐりこむ。疲れからか、良く寝た。牛の鳴き声で目を覚ます。学校の中を覗くと真新しいパソコンが5台ある。生徒は25人。しかし教える先生はいない。聞くと、来てもすぐに町に戻ってしまう。山深い村の生活に馴染めないのだそうだ。そこには、観光客には解らない村の現実があった。

 また時間通りに、町からの荷物を運んで村の宅配便がやってきた。牛乳缶を持って村人が集まる。村の荷物を積んでトラックは出て行く。変わりない村の1日が始まる。そのトラックの助手席に乗り込み、村を後にした。

 代理店に無理やり頼んだ世界遺産サンガイの旅。一般の観光客では経験の出来ない貴重な体験だった。素晴しい自然とそこに住む厳しい現実を噛み締めながら、腸捻転の山道を揺られていた。

 

平成21年4月10日

須郷隆雄