エクアドル便り43号
スポーツの祭典
CESA(NGO:エクアドル農村振興協会)からスポーツ大会の招待を受けた。バレーとサッカーの「スポーツの祭典」とのこと。チンボラソ、トゥグラウア、コトパクシの各県およびピチンチャ県以北のノルテ代表の4チームだ。
CESAへ集合し、チャーターバスで大会会場のあるトゥグラウア県都アンバートに向かった。社員旅行気分だ。いつもとは違う、はしゃいだ陽気な雰囲気が漂っている。唯1人、新型インフル対策の大きなマスクをしている。何か私の噂をしているようだ。アンバートはすり鉢のような町である。2度ほど道を間違え、高台の見晴らしのいい会場に到着する。既に試合が始まっていた。エクアドルの例外にもれず、喧しいほどの音楽をかけ雰囲気を盛り上げている。
白と赤のユニフォームに着替え、開会式に臨む。CESAの関係者が一堂に会しての「スポーツの祭典」だ。綺麗どころを先頭に、各チームが入場する。美人コンテストのようでもある。そして各チームの美人代表が選手宣誓。ノルテチームは2人の女の子が行う。はにかみながらも立派に行う。万雷の拍手を受ける。
南米といえばサッカー。他のラテンアメリカと同様にエクアドルでも、スポーツといえばサッカーだ。しかし、かつてエクアドルは、ほとんどの相手国から安全パイとして見下されていた。20世紀にワールド・カップに出場出来なかった国は、エクアドルとベネズエラだけだ。アルベルト・スペンサーやアレックシス・アギナガなど有名選手を輩出しながら、代表チームの強化は遅れた。エクアドルチームは、「全員がボールに向かっていくサッカーだった」と言われている。革命をもたらしたのが、ユーゴスラビアから来たドラスコビッチ監督やコロンビアのゴメス監督だ。エクアドルサッカーの聖地と言われる黒人居住者の多いチョタ谷などを回り、選手を発掘していった。そして、ついに南米代表として日韓ワールド・カップに初出場した。エクアドルサッカー協会が発足してから70数年後の快挙であった。続くドイツワールド・カップにも出場し、南米各国からも尊敬される実力を持ったチームになった。昨年、リベルタドール杯(南米トヨタカップ)でリーガ・デ・キトが王者となり、その12月にクラブW杯でマンチャスター・ユナイテッドに苦敗したものの準優勝したのは記憶に新しい。しかし憂慮すべきは選手の高齢化だ。
テニスも結構盛んだ。両手バックの生みの親パンチョ・セグーラやアンドレス・ゴメスなどの有名選手がいる。長距離では、ロスアンゼルス・マラソンやソウル・マラソンで優勝したロランド・ベラがいる。しかしオリンピックでは目立った成績を残していない。これに対し、20キロ競歩のジェフェルソン・ペレスはアトランタ・オリンピックでいきなり金メダルを獲得し、エクアドル国内は歓喜のるつぼと化した。エクアドルの国民的スポーツに「エクアボレー」がある。ネットの高さは2メートル半もあり、ホールディングはし放題だ。町の公園や空き地でエクアボレーに興じている光景をよく見かける。エクアドルでスポーツをする場合、3000m近い高地のため空気が薄く酸欠状態になりがちだが、もう1つの特徴は気圧の関係で、ボールがよく弾み、よく飛ぶことだ。
ルイスとカルロス、アレックシスはエクアボレーで健闘している。マヌエルはサッカーで奮戦している。サッカーは決勝戦を迎えていた。対戦は我がチンボラソとトゥンガラウアだ。前半は3−0で大勝。後半は形勢逆転、0−4と大逆転される。タイムアウト間際に1点を返し4−4の同点に持ち込んだ。サポーターは熱狂している。いよいよキック戦だ。先ずマヌエルが登場。なんとネットはるか上方を通過、ため息が漏れる。トゥンガラウアは見事にゴール。続いて我がチーム、キーパーに止められアウト。敵もアウト。0−1だ。当方念願のゴール。大歓声が沸きあがる。しかしトゥンガラウアも続けてゴール。一貫の終わりである。接戦の末の苦敗であった。
コークハイと豚の丸焼きで打ち上げ。互いに健闘を称えあった。桜に似たピンク色の花を付けた「アルポ」という木が芳ばしい香りを放っていた。ほろ酔い加減で帰りのバスに乗り込んだ。
平成21年5月23日
須郷隆雄