エクアドル便り44号
第2回エクアドル剣道日本大使杯
5月30日土曜日、第2回エクアドル剣道日本大使杯がキトのルミニャウイ体育館で開催された。
武道館を思わせる立派な体育館だ。近くには空手道場もある。懐かしい練習の声は聞こえるものの、入り口が解らない。中に入ると10時、定刻に開会式が始まった。エクアドル時間で多少遅れるだろうと高をくくっていたが、そこは日本武道の大会だ。1分の遅れもなかった。参加道場はキトから練成館、尚志館、修身館、誠心館、剣心館、グアヤキルから剣道グアヤス、そしてクエンカからの太陽道だ。大人の部、子供の部合わせて9チームの参加だった。皆凛々しく剣道着に身を固め、ここは日本ではないのかと思うほど礼儀正しい。エクアドル国歌、続いて日本国歌「君が代」の演奏。短いため2回繰り返す。
開会式 試合
エクアドル剣道協会はキト、グアヤキル、クエンカに7つの道場を有する。1999年に設立され、140人を超える剣士を持つまでになった。協会の理念は「El Kendo es Amor(剣道は愛)」だそうだ。エクアドル剣道は、日本人学校に勤務していた小坂井剣道教士7段(当時6段)の指導の下、4名の剣士から始まったという。小坂井教士帰国後は、エクアドルで農場を経営する工藤さんがその指導を引き継いだ。工藤さんは学生時代に剣道4段を取得し、40年弱のブランク後再開したとのことだ。エクアドル剣道の歴史は10年になる。
南米の剣道はブラジルの日系人から始まった。ブラジルの剣道人口は1500人とも言われている。そのためブラジルの強さは突出している。南米剣道連盟は中米も含め、ラテンアメリカ剣道連盟の設立を目指している。初めて中南米の剣士が一同に集う第1回ラテンアメリカ剣道大会が2010年9月に、ここエクアドルで開催されることになった。
集合写真
60数回の勝負に一度も負けたことがないと言われる剣聖宮本武蔵には、吉岡一門、槍の宝蔵院、宍戸梅軒との闘い、そして巌流島の決闘がある。小舟で漕ぎ着けた武蔵に小次郎は「汝後れたり」と3尺の刀を抜き、鞘を水中に投げ捨てる。それを見た武蔵「小次郎敗れたり。勝つつもりならば、何ゆえ鞘を投げ捨てる」吉川英治の名場面だ。武蔵は「二天一流」の祖としてだけでなく、水墨画や書にも優れていた。水墨画には、剣禅一如の境地を描いた「枯木鳴鵙図」や「鵜図」などがある。書には、「戦気・寒流帯月澄如鏡」がある。晩年60歳、熊本・霊厳洞にこもり、座禅瞑想して書いたと言われる「地・水・火・風・空」の5巻から成る「五輪書」がある。「兵法を極めることが善の道」と説く。死を迎えた最後の書として「独行道」自省自戒を込めた21か条がある。
1.
世々の道を背く事なし
2.
身に楽しみをたくまず
3.
万に依怙(頼ること)の心なし。
4.
身を浅く思い、世を深く思う
5.
一生の間欲心思わず
6.
我、事において後悔せず
7.
善悪に他を妬む心なし
8.
いずれの道にも別れを悲しまず
9.
自他ともに恨みかこつ心なし
10.恋慕の道思いよる心なし
11.物ごとに数寄好む事なし
12.私宅において望む心なし
13.身一つに美食を好まず
14.末々代、物なる道具所持せず
15.わが身に至り、物忌みする事なし
16.兵具は格別、世に道具たしなまず
17.道においては、死をいとわず思う
18.老身に財宝所領用ゆる心なし
19.仏神は貴し、仏神をたのまず
20.身を捨てても名利は捨てず
21.常に兵法の道を離れず
まさに剣禅一如の悟りであろう。
武蔵には3人の師がいたように思う。「心の優しさこそ強さ」と教えた沢庵和尚、「緩みのない心を緩めてこそ、隙のない心が出来る」と教えた本阿弥光悦、「剣の道は剣を用いて人を生かすこと」と活人剣の教えを伝授した柳生石舟斎だ。人間如何に生きるべきかを教えてくれる。
武蔵は身長6尺(180cm)、生涯風呂に入らなかったとも言われる。作風から左利きではなかったかとも。お通との悲恋はあったのか。多くの作家や映画監督が脚色し、作品を世に送り出している。まだ解らない部分が多々ある。それが我々を楽しませてくれる。
日本では全日本にも行ったことがない。娘が中学と高校の時の試合に2度ほど行っただけだ。海外にいるとこのような大会が懐かしく思えるのは、やはり郷愁というものだろうか。南米に「やまと心を磨くこの技」を普及させて欲しいものだ。剣道隊員菊次さんの招待に感謝申し上げたい。
平成21年5月30日
須郷隆雄