エクアドル便り46号
癒しの村ウトゥニャグ
リオバンバの北東に活火山トゥングラウアがある。標高5027mだ。キチュア語で「炎ののど」という意味だそうだ。1999年に大噴火があり、2007年5月から再び火山活動が活発化し、2008年2月には麓の2村で数千人が避難したことが報じられた。今はややお休み中ではあるが、相変わらず噴煙を吐いている。アンデスは、太平洋の海洋プレートが周辺の大陸プレートに沈み込むことによって出来た環太平洋火山帯にある。環太平洋造山帯ともいい、アルプス・ヒマラヤ造山帯とともに世界2大造山帯を形成している。アルプス・ヒマラヤ造山帯が火山をあまり伴わないのに対し、環太平洋造山帯は火山が多い。アリューシャン列島から日本列島にかけても、この環太平洋火山帯に属する。
ロバに乗る 村の子供たち
朝6時半のバスに乗る予定が、起きたのは8時であった。やむなく12時半のバスに乗る。1日3往復しかない。向かった先はトゥングラウアの麓の村ウトゥニャグだ。リオバンバから28km、標高はほぼ同じ2500m、バスで1時間15分、片道80円。トゥングラウアの雄姿にお会いするためだ。バスは満席、やむなく立つことになる。バスはおんぼろ、右に左に、前に後ろに激しく揺れる。立っているのは至難の業だ。ペニペでようやく座れる。山道を蛇行しながらゆっくり登っていく。道は細いが、舗装されている。空気も冷たい。雲も近い。終着駅の村ウトゥニャグに到着する。観光客は他には誰もいない。雨が降り出しそうな天気だ。トゥングラウアはポンチョというより、足元までのオーバーコートを着たようで、全く影も形も見えない。村人が方向だけを教えてくれた。
バス停の近くに、村のチーズ工場があった。覗いて見る。女性作業員が色々説明してくれた。「見晴台はどこか」と聞くと、高台を2ヶ所指差して教えてくれる。牛乳缶を運んできたロバに挨拶していると、その女性が「ロバに乗れ」と言う。コミュニティーの広場を一周してくれた。「1人でロバに乗って行け」と言うが、とても思うようにならない。自分の足で行くことにした。雲が降りてくる。霧雨も降り出す。アヒルが「グェッ、グェッ」と鳴いている。道はぬかるし、とても高台までは無理だ。途中の民家で「アジャンキル見晴台は何処だ」と聞くと、「バス通りをもっと下りたところだ」と言う。方向が違う。雑談していると搾りたての牛乳をご馳走してくれる。何だか不気味ではあったが、半分ほど飲んで礼を言う。「日本から来た」と言うと「チュッ・パー」と言って驚いていた。遠い国ということは解ったであろうが、日本が何処にあるかは多分解らないだろう。バス停に戻ると子供たちがサッカーに興じていた。急ぐ旅でもないので、また子供たちと戯れる。ここの村にはインディヘナがいない。洟垂れ小僧ではあるが、皆ヨーロッパ系の顔立ちだ。
とぼとぼとバス通りを下りていく。元が黄色で先が赤いラッパのような花が咲いている。赤、黄色、紫の花が道沿いに咲いている。柏の葉のような木もある。馬が1頭、鞍を付けたまま飼い主の帰りを待っている。相変わらず雲が垂れ込めている。1人山道を行く。ユーカリの香りが心地よい。トウモロコシの刈り取りをしている青年に道を確認する。「アジャンキルは下に見える村だ」と言う。トゥングラウアとは方向が逆だ。ジャガイモ畑を通り、トウモロコシ畑を進む。静かだ。時々ロバの鳴き声が聞こえる。見晴台らしきところに到着。麓から雲に覆われ、トゥングラウアは影も形もない。藪をかき分け引き返す。牛がお疲れ様という顔をして見ていた。
馬の2人連れが話しかけてくる。「日本からだ」と言うと、これまたびっくり仰天していた。よたよた歩いていると今度はトラックがバス停まで運んでくれた。村はとっぷりと雲に包まれていた。村人が工場に牛乳を運んで集まってくる。エクアボレーを楽しんでいる。バスを待って、ぼやっと眺めていると、先ほどのトラックの運転手がトウモロコシで作った焼酎を振舞ってくれた。腹の中がジーンと温まる。ブータン焼酎の「アラ」に似ている。寒さのせいで、良くこの焼酎を飲むそうだ。5時丁度にバスが来る。おんぼろバスに揺られ、雲隠れのトゥングラウア山に別れを告げ、ウトゥニャグ村を後にした。
トゥングラウアに振られ、雨交じりのウトゥニャグだったが、村人との出会い、もてなしを受け、思わぬ有難い体験となった。ゆっくりと歩き、村人と自然に癒され、心和む往復160円の旅であった。
平成21年6月13日
須郷隆雄