エクアドル便り47号

父の日がやって来た

 

華やかな母の日とは違って、添え物のように静かに父の日がやってきた。

 父の日は、1909年アメリカ、ワシントン州のドット夫人が教会の牧師にお願いして、父の誕生日の6月に礼拝をしてもらったのがきっかけと言う。1916年、28代大統領ウッドロー・ウィルソンの時に父の日が承認され、1972年にアメリカの国民の祝日に制定された。日本では1950年代ごろから知られるようになった。母の日のカーネーションに対し、父の日はバラである。台湾の父の日は8月8日、パパの語呂合わせのようだ。

 町を歩いていると「Gran Festejo a Papa父のための饗宴」の看板が目に留まった。第3日曜日12時から郊外のリゾートホテルで開催されるようだ。早速場所等を確認し、行ってみることにした。

  

          Gran Festejo a Papa                                   踊る家族

 アンバート行きのバスに乗る。30分ほどでリゾートホテル・アンダルーサに到着だ。アサードの香りがする。広大な牧場の中にある。素晴らしいロケーションだ。入場料を払い中に入ると、メキシコグループがマリアッチを演奏していた。まだ空席が目立つ。案内され、1人席に着く。料理はアサードだ。モルシージャ、チンチョリンもある。経営者はチリ人のようだが、なかなか美味だ。女性は皆着飾っているが、お父さんはいまいちさえない。マリアッチのグループが盛んに「父の日おめでとう」と持ち上げるが、主役はお母さんのようだ。ビール1本とワイン1杯で酔いが回った。バンドが4人グループに変わる。パシージョからサルサ、メレンゲ、グンビアと、多彩なラテン音楽を演奏する。しみじみと聞き入る。久々に満足した気分だ。客はほとんどがヨーロッパ系の顔をしている。インディヘナは皆無だ。貧富の格差を感じざるを得ない。東洋系は私唯1人。1人で来ている者も他にはいない。抽選会が始まる。145番は残念ながら選外であった。お父さんも盛り上がってきた。「オトゥロ、オトゥロ」の声。アンコールを要求している。バンドに乗せられ、踊りだす。エクアドル人は歩くより先に踊りを覚えると言われるほど、ダンス好きだ。異国の地、唯1人、自分で自分を祝った。珍しく、空に大きな虹がかかっていた。

 理想の父親像は1位が桑田佳祐、2位が福山雅治、3位が木村拓也だそうだ。格好良過ぎる。我々がイメージする父親とはちょっと違う。矢沢永吉、泉谷しげる、北島三郎もベスト10入りしている。なんとなく胡散臭いが、我々世代には近い。叱ってくれそうな父親イメージだ。父の日の贈り物は日本酒、焼酎、甚平、ゴルフグローブにポロシャツ、それに何故か納豆だ。日本のお父さんの好みを良く理解している。ちょっとお洒落なお父さんにはエクアドル産のパナマ帽はどうだろうか。ヘルシーなお父さんにはエナード・ボニータ・バナナ、甘党のお父さんには唐辛子チョコをお奨めしたい。

かつては「男は強し、また父も強し」と言う時代があった。しかし今は「男は弱し、また父も弱し」だ。「母は強し、されど父は弱し」と言うべきか。何時からこうなってしまったのか。日本の高度成長、経済優先がこうさせたのかも知れない。企業戦士として、戦場に変わる会社でこき使われ、家庭は「風呂、飯、寝る」の場と化し、家族の団欒は何処へやら、へとへとの毎日。挙句の果ては子供の教育、マイホーム第一で単身赴任。たまに帰れば自分の席は息子が占領、座る場所もない。会話は母親中心、1人寂しく酒を飲む。「こんな日本に誰がした」と叫びたくなるが、紛れもなく我々がしてしまったのだ。日本のお父さんは疲れている。温泉とは言わないが、せめて父の日には入浴剤でも買って、ゆっくり風呂に浸かって、下手な演歌でも歌わせて欲しいものだ。

小津安三郎監督、笠智衆主演の1953年の作品に映画「東京物語」がある。日本映画の傑作とも評され、世界からも高い評価を得た。家族の絆、夫婦と子供、老いと死、人間の一生を描いた作品だ。たそがれ時の父親の寂しさと悲しみを見事に描いている。「母は強し、されど母は悲し」と言ったことがあるが、「父は寂し」と言えるかもしれない。「母は悲し、されど父は寂し」。お父さんとはそんな存在なのかもしれない。

 

平成21年6月21日

須郷隆雄