エクアドル便り48号
セロ・プニャイ
セロ・プニャイとはプニャイの小山という意味だ。その小山はチンボラソ県の最南端、カニャール県に接するチュンチにある。リオバンバからは158km、バスで3時間だ。小山といっても標高3265m。日本昔話に出た来るおむすび山のような山だ。インカ伝説の山でもある。
どんよりと曇り空。7時半のクエンカ行きのバスに乗る。バスは満席、立ち客も多い。グアモテで外人夫婦が乗ってくる。アラウシで隣のご婦人が降りる。しかし相変わらず混んでいる。10時半、ようやくチュンチに到着した。晴れ間が見えてくる。尿意を催し、トイレを探すがなかなか見つからない。市場まで行き、ようやく用を足す。観光客らしき人は誰もいない。カミオネータ(トラックタクシー)を探すが何処も運休のようだ。車はあるが、運転手がいない。やむなくタクシーに乗る。プニャイ山は真向かいにおむすびのような形で聳えているが、周回して行くため30分かかった。麓の村サンタ・ロサに着いたのは、もはや12時15分前だ。茶店のおばちゃんが「今日始めての登山客だ」と言う。「頂上まで2時間はかかる」とも言う。タクシーのお兄ちゃんは「3時間」と言っていた。ガイドブックには2時間半と書いてあった。いづれにしても、登れるところまで登ろうと覚悟を決めた。
豚が昼寝している。1歩登るごとに視界が広がる。しかし、1歩登るごとに呼吸が荒くなる。大きな岩が見えてくる。人の顔に見える。考える人のようでもある。角度を変えると狸にも猿にも見える。奇妙な岩だ。「El Diluvio(大洪水)」の看板が立っていた。「大洪水で、全ての村人は死滅した。しかし、この小山の頂上で、生まれたばかりの2人の兄弟だけが助かった」と記されている。プニャイ伝説の始まりだ。鳥の鳴き声が聞こえる。静かだ。雲が次第に降りてくる。
頂上のピラミッド 太陽と月の顔
3人組が「頂上にピラミッドがある」と意外なことを言う。ガスが這い上がってくる。一面の雲海だ。頂上は近い。色鮮やかな紫、黄色、白のお花畑を踏みしめ、頂上に到着。3人の若者がキャンプしていた。前の3人組の仲間だという。ピラミッドらしきものはない。地図を片手に説明してくれる。確かに3つの丘が東西に連なっている。しかも階段状に。しかし石造物がある訳ではない。エジプトのキザにある3大ピラミッドと同様、オリオン座の三ツ星のように並んでいる。まさに太陽の道だ。西のはずれの岩に太陽と月の顔が彫られていた。北にチンボラソ、トゥングラウアのアンデスを望み、南にグアヤキルから太平洋を望む絶景の地である。しかし雲に覆われ、その片鱗を僅かに覗かせただけだ。晴れればコンドルが舞うという。草に覆われたピラミッドの頂上に寝転び、アンデスに抱かれ、古代インカの人々に思いを馳せた。若者6人はここにキャンプし、「夕日を眺め、満天の星を仰ぎ、朝日を拝む」と言う。彼らの期待に応えて欲しいと思うが、この空模様では残念ながらその期待は叶えられないであろう。若者たちと硬い握手で別れた。
雲の中を帰る。帰りは早い。駆け足状態だ。ぺんぺん草のような黄色い花が斜面一面に咲いていた。めまいを感じる。足が突っ張り、痙攣する。暫く静まり返った村を眺めていた。遠くで雄鶏のさえずりが聞こえる。山あいを細い道が白く蛇行している。麓の茶屋にやっとの思いでたどり着いた。既に4時。「おばば、今戻ったぞ」と言うと、奥からおばばがのこのこ出てきた。日本語が解ったのだろうか。水を買い、残りのパンを上げると、チーズをはさんで出してくれた。代わりにウェハースの菓子を上げる。もはや立ち上がれない。「日本はアメリカより遠いのか」と聞くので、「アメリカの倍以上遠い」と応えると、「ずいぶん遠くから来たんだね」と感心していた。「トラックがここへ来るから、それに乗せてもらえ」とトラックまで案内してくれた。「また来いよ」と、手を握り締める。良いおばばだ。
しかし、途中のバス停で降ろされてしまった。ガスが立ち込め、寒い。1人ぽつんとバスを待っていると、家族連れの車がチュンチまで乗せてくれた。親切な人もいるものだ。最近ちょっとエクアドルへのモチベーションが下がりかけていたので、考え直さねばならない。子供にお礼の板チョコを上げ、別れた。6時のバスに乗り、冷え込みのきついチュンチを後にした。セロ・プニャイの余韻に浸る間もなく、席に着くと睡魔に襲われ、昏睡状態のままリオバンバに戻った。9時であった。
「犬も歩けば棒にあたる」。出歩くと思わぬ発見、出会い、人情の機微に接することが出来る。これが旅の醍醐味でもあり、これがまた私を旅へといざなう。
平成21年6月20日
須郷隆雄