エクアドル便り50号

湯ら湯ら伊豆

 

エクアドルからの一時帰国中、娘の計らいで伊豆・稲取温泉へ1泊2日の家族旅行をすることになった。

準備万端、遊びのときは出足が早い。8時に我が家を出発する。首都高速に乗るなりのろのろ。何しろ20日の海の日を挟んでの3連休だ。しかも夏休み。信号がないだけの高速道路。子供連れは途中でトイレ休憩をする始末だ。最早諦め状態。しかしその分、会話が弾む。娘が運転、私が助手席でナビゲート。女房と息子は後部席。いつもの我が家のポジションだ。今までは私が運転、娘が助手席だった。家庭は女房と主客逆転、車も最早娘と主客逆転。年齢とともに自分の権威が落ちていく。

東名も渋滞続き。小田原厚木道路から真鶴道路、熱海ビューラインと高速を乗り継ぐ。下の一般道の車が追い越して行く。伊豆に入る。左に相模湾、右に伊豆の山々を眺めてのドライブは快適だ。目的地「いなとり荘」に着いたのは5時だった。9時間を要した。通常の2倍はかかった勘定だ。

  

       ホテルから相模湾を望む                    初景滝と伊豆の踊り子

前は相模湾。天気が良ければ伊豆七島が見渡せるとの事だった。早速大浴場へ。太平洋を丸抱えしたような眺めだ。日頃はあまり喋らない息子と将来の話をした。エクアドルのバーニョスにある「ビルヘンの湯」とは違う。久々にのびのびと日本の温泉を堪能した。続いてはお待ちかね、夏献立の潮騒遊膳だ。御造りを選ぶことが出来る。4人でそれぞれ金目鯛、真鯛、真鯵、平目を注文した。猟師風にちょっと濃い味だったが、金目鯛の煮付けは絶品だった。白浜方面から花火が上がっていた。

いなとり荘は1956年6月29日の創業で、10室、収容人員46人から始まった稲取温泉の老舗だ。創業者の発掘した温泉が稲取温泉の始まりとされている。女将の村木さとみさんは「心にごちそう」をモットーに、「お客様の喜びが私の喜び」と語ってくれた。日本のホテル百選にも選ばれている。遺伝子が違うのか女は元気だ。私は知らないうちに眠りについていた。

翌朝、稲取岬を歩いてみた。どんつく灯台からどんつく神社へ。何故「どんつく」というのかは解らない。神社の中に巨大な男の一物が飾られた神輿が祭られていた。子孫繁栄、夫婦和合を祈願している。神社は概ねこの類を祭っているところが多い。理屈をこねるより解りやすい神様だ。愛恋岬の歌碑があった。「きみが泣くから海が泣く 海が泣くから月も泣く 忍び酒汲む稲取岬」星野哲郎作詞、船村徹作曲、鳥羽一郎が歌っている。聞いたことはない。龍宮神社を経て稲取漁港へ。観光客で賑わっていた。金目鯛の干物がうまそうだ。湯上り散歩にはきつい道のりだった。

ホテルに別れを告げ、河津七滝へ向かう。大滝、出合滝、蟹滝、初景滝、蛇滝、蝦滝、釜滝の七滝だ。河津では滝のことを「タル」と言うそうだ。初景滝で「伊豆の踊り子」のブロンズ像に出会う。湯ヶ島、天城峠を越えて下田に向かう旅芸人一座と道連れになった孤独に悩む青年の淡い恋と旅情を描いた川端康成の短編小説「伊豆の踊り子」だ。「道がつづら折りになって、いよいよ天城峠が近づいたと思うころ」で書き始まるこの短編は大正5年「文芸時代」に発表された。6回映画化され、田中絹代や吉永小百合、山口百恵などが主演した。昭和43年にノーベル賞が授与されている。

女郎蜘蛛伝説のある浄蓮の滝へ向かう。伊豆最大の滝だ。「滝つぼに住む女郎蜘蛛に会ったきこりが、約束を破り酒席でその事実を語る。酒に酔い、眠ったきこりは二度と目を覚ますことはなかった」日本にはよくある伝説だ。石川さゆりが歌って一世を風靡した「天城越え」がかかっていた。「走り水 迷い水 風の群れ 天城隧道 恨んでも恨んでも からだうらはら くらくら燃える地をはって あなたと越えたい天城越え」女郎蜘蛛の激しい恋を歌っているのだろうか。与謝野晶子の「かたはらの刀身ほどのほそき瀧 白帆の幅の浄蓮の瀧」という歌もある。伊豆最大とはいえ、大きな瀧とはいえない。わさび田が涼しさを誘う。

今日は土用の丑の日。修善寺から三島に向かう途中でうなぎ屋による。なかなかの客入りだ。味も上等。偶然とはいえ、いい店に出会った。夜の箱根路から東名経由首都高速から10時に無事我が家に戻った。娘の運転もなかなかのものだった。親から子へ、最早世代交代の時期に来ているようだ。

伊豆は学生の頃から数え切れないほど訪れている。その時々に違った感動がある。海あり山あり歴史あり。家族揃っての伊豆は今回が始めてだ。好い旅だったような気がする。

平成21年8月18日

須郷隆雄