エクアドル便り57号
巻き寿司と天ぷら
今年の10月3日は中秋の名月だ。アルタール山の鏃の上に満月が冴え渡っている。旧暦の8月15日はお団子や里芋、ススキなどを供えて月を愛でる。月見のルーツは良く分からない。月見の日に里芋を食べることから、里芋の収穫祭であったとの説が有力だ。供えたススキを家の軒に吊るしておくと、1年間病気をしないともいう。団子は、平年は12個、閏年は13個だそうだ。入谷の羽二重団子は繁盛していることだろう。芭蕉の句に「名月や 池をめぐりて 夜もすがら」がある。風流だ。季節感のないエクアドルではなかなか句心は起きない。名月に誘われて、新しき仲間たちと日本食を楽しむことにした。
仲間たち 南極から見た月暈
先ずは寿司だ。圧力鍋で寿司米を炊く。すしの子で酢加減を調整する。まずまずだ。具は玉子焼きときゅうり、それにツナだ。海苔は焼き海苔で我慢する。巻き寿司は何度か経験があるので、以前の失敗を参考になかなかの出来栄えだ。太巻きを7本用意した。
寿司は言うまでもなく、酢飯と魚介類を組み合わせた日本料理だ。一般的には握り寿司がイメージされる。中尾佐吉の「栽培植物と農耕の起源」によると、ラオスの山地民やボルネオの焼畑民族の焼畑農耕文化複合の一つとされ、魚肉保存食を寿司の起源としている。握り寿司を創案したのは華屋與兵衛と言われる。華屋という寿司チェーンがあったような気がする。ねこまんまはさておき、寿司こそ日本食文化の頂点と言うべきだろう。
合間を縫って、ビールと炭酸飲料を近所の店へ買いに行く。おばちゃん、電話が長くてなかなか応じない。「ビン代は引いておくから、必ず返してね」と念を押される。ビールのつまみに、ハムとチーズも用意する。
いよいよ天ぷらだ。天ぷらは小麦粉と卵で作った衣をつけ、油で揚げた料理ということになっている。小麦粉に味の素と塩を多めに振りかける。卵を入れ忘れた。にんじんと玉ねぎのかき揚げ風、ジャガイモ、それに海老天とイカ天だ。海老とイカは山ほど買った。海老は順調に揚がる。イカは油が「ポンポン」と弾けて大変だ。周りは油だらけ、顔を覆っての悪戦苦闘。マギーがケーキを持ってやってきた。「手伝う」と言って、油をかき回している。煮物ではない。やはり手助けにはならない。やがてオルガ家族がヘンジを連れてやってくる。7時近くになってアルフォンソがやってきた。ようやく天ぷらも揚げ終わった。
天ぷらは、本来は魚介類をネタにしたものが天麩羅と呼ばれ、野菜をネタにしたものは精進揚げと呼び区別していた。調理法は良く冷やし、混ぜすぎない。食べ方は天つゆに大根おろしと薬味を用いるとなっている。しかし衣に塩味がついている。そのまま食べても十分に美味しい。異国で習得した手抜き調理法だ。天ぷらは寿司と違って、17世紀にポルトガルから伝来した料理と言われている。ポルトガル語やスペイン語の「TEMPORAS」が語源という説がある。元々はラテン民族の食べ物なのだ。江戸時代より、上方では魚のすり身を素揚げしたもの、いわゆるさつま揚げやじゅこ天のことであった。江戸では小麦粉を衣にしたもので、今の天ぷらに相当する。徳川家康の死因は、鯛の天ぷらによる食中毒という説もある。さすが征夷大将軍、天ぷらも鯛であったのだ。庶民はあまり食べない。
ようやくマギーのご主人がやってきた。結局、ヴィクトルとホルへ、リカルドは遠距離のため来なかった。マギーのご主人が来てから急に酒が捗った。結構酒は強そうだ。シュミール(エクアドル焼酎)持参付きだ。何度も「サルー」「乾杯」を繰り返す。ヘンジは1人で物珍しそうに遊んでいる。時々私が相手をする。マギーのケーキでお開きとなった。やはりラテン民族の食べ物、天ぷらは大人気だ。しかし巻き寿司は今一つだった。海苔が良く分からないようだ。「ALGAのことだ」と言っても、板状の海苔はなかなか理解されない。「オルガの兄弟分だよ」と冗談を言うしかなかった。巻き簾にも興味を示していた。
中秋の名月のもと、残り物の寿司と天ぷらを持って帰っていった。酒の酔いと天ぷらの油に揚げられて、へとへとに疲れてしまった。料理は作るものではなく、頂くものだと思う。日頃はねこまんまで過ごしていながら、寿司と天ぷらに挑戦し、多少は日本食文化の紹介にはなったかなと、自分自身に「はなまる」を付けることにした。次は理解されるかどうか分からないが、お団子と里芋とススキで、月見の宴を開きたいものだ。
平成21年10月3日
須郷隆雄