エクアドル便り58号

珍味グアナバナ

 

会員のセバダス工場でヨーグルトをご馳走になった。今まで食べたことのない味だ。実に美味しい。「何が入っているんだ」と聞くと、「グアナバナ」と言う。聞いたことのない果物の名だ。早速市場に行き、グアナバナなるものを買ってみた。外観は緑の厚い果皮で覆われ、でこぼこし、まるで奈良の大仏の頭のようだ。その外観通り、仏頭果とも言われる。果肉は白くクリーミーだが、種が多くて食べにくい。決して美味しいという代物ではなかった。しかし、「森のカスタードアイス」とも言われ、マンゴスチンやドリアンとともに世界三大美果の1つとされている。ミルクと混ぜジュースとして飲まれているようだ。単品で味わうものではないのかもしれない。しかし、ヨーグルトとのコンビネーションは絶妙だった。

エクアドルは他の南米諸国の例外にもれず、果物の種類が豊富だ。日本にはないトロピカルフルーツが沢山ある。グアナバナをはじめ、フルーツの王様と言われるマンゴー、フルーツの女王と言われるグアバ、その他パパイヤ、木トマト、ルロ、モラ、クルーバ、フェイジョア、タマリンド、ボロホ、マラクージャ(パッションフルーツ)など数えてもきりがない。アンデスブラックベリーとも呼ばれるキイチゴの仲間モラのジュースは、甘酸っぱくて美味しい。

  

       珍味グアナバナ                      ハチドリ

よく「トマトは野菜か果物か」という問いがある。「野菜」が正解ということになっている。狭義では、樹木になるものを果物というようだ。エクアドルの木トマトは、その名の通り木になっている。この分類からすれば、果物なのだ。一般的には甘味を有するものを果物と呼ぶ。では、イチゴやスイカ、メロンは果物なのか。どうもそうではなさそうだ。果物のように食べられる野菜、つまり果実的野菜に分類されるようだ。なかなかこの境界線は難しい。一概に八百屋とか果物屋とか言い切れない。八百屋お七が果物屋お七では物語にならなかったかも知れない。

お七は左兵衛に会いたさのあまり、放火した罪に問われ鈴か森刑場で火刑に処せられた。当時、15歳以下の者は罪一等を減じられ死刑にはならなかった。その時お七は数え年16歳、満年齢だと14歳だった。町奉行甲斐庄はお七を哀れみ、命を助けようと「お七、お前の年は十五であろう」と謎を掛けた。しかしお七は正直に16歳と答える。「いや、十五に違いなかろう」と重ねて問いただすが、お七は再度十六と述べる。お七は火あぶりの刑に処せられる。八百屋お七の墓は文京区円乗寺にある。生年は1666年丙午であった。以後丙午の出生率が減っている。井原西鶴が、この事件を「好色五人女」の巻四に取り上げて以降有名になった。浄瑠璃や歌舞伎で演じられている。

南米に多く生息するハチドリは毎秒55回ほどの高速で羽ばたき、空中で静止するホバリング飛翔を行う。「ブンブン」とハチと同様の羽音を立てるのでハチドリと名付けられた。フランス語ではハエドリになるそうだ。エクアドルでは「コリブリ」とも「ピカ・フロール」とも言う。キチュア語では「キンデ」と呼ぶ。    

エクアドルの伝説に、クリキンディという名のハチドリが、森が火事になった時、水源から一滴ずつ水をふくんでは運び、炎に落とした。無駄なことだと言うほかの動物たちにクリキンディは答えた。「私は、私にできることをしているだけ」というのがある。中国には、東の海で溺れて命を落とした少女が精衛という小さな鳥になって、倦まず、西の山の小石をふくんでは運び、その東の海を埋めようと頑張る。「精衛、海をうずむ」という伝説がある。しかしこれは「無謀な企てが徒労に帰す」ことを意味する。米国のエドガー・アラン・ポーの詩「大鴉」の中で、この鳥は不思議な声で「ネヴァモア(Never More)」と鳴くと書かれている。2016年のオリンピックはブラジルのリオデジャネイロに決まった。東京の落選に代わり、広島長崎が共催で2020年のオリンピック開催に立候補することを表明した。「核兵器廃絶」と「平和」をテーマに掲げている。是非実現して欲しいものだ。ハチドリの一滴の水、精衛の一つの小石が世界を変えるかもしれない。ポーの大鴉の叫び「ネヴァモア」が実現するかもしれない。

珍味グアナバナがあらぬ方向に展開してしまった。コレステロールの量を減らし、血液の流れを正常に保つ不飽和脂肪酸が豊富で、「森のバター」と言われるアボガド。栄養の宝庫、解毒パワーが話題のパパイヤ。日本では朝バナナダイエットが流行し、大勲位中曽根元総理がバナナと牛乳と座禅が健康法と言うバナナ。これらを毎日食しながら「健康」と「ボランティア」をテーマに、ハチドリの一滴の水の如く、日々暢気に愉快に過ごそうと努めている。

平成21年10月10日

須郷隆雄