エクアドル便り63号
進化論の舞台ガラパゴス
(スジバン湾からバルトロメ島へ)
キャビンから赤茶けた小島が沢山見える。船は既にスジバン湾内に停泊していた。仲間が食堂のテーブルに集まってきた。「グッド・モーンング」「ブエノス・ディアス」「グーテン・モルゲン」そして「オハヨー」朝の挨拶も国際色豊かだ。「ブエン・プロベッチョ」「イタダキマス」で何時もの朝食が始まる。
曇り空、風が冷たい。ゴムボートで湾内を周回する。ガラパゴスでは最も人気のあるコースだ。観光客も多い。竹の子が海から生えてきたかのように、黒い岩がモニュメントのように突き立っている。流れ出た溶岩の形を残す岩場にペンギンの群れ。カメラを向けるが、ボートが揺れてピントが合わない。小さなペンギンだ。岩場は羽でバランスを取りながらよちよちと不器用な歩き方をするが、いったん海に入るとすばしっこく泳ぎ回る。鳥というよりは最早魚だ。ペンギンも他の動物と同様にガラパゴスの人気者だ。ガラパゴスペンギンは世界で3番目に小さく、体長は約35cmという。
岩場のガラパゴスペンギン パイオニア・プラントと少女
黒い溶岩流の後を残すヒメ島に上陸する。月世界に降り立ったようだ。溶岩が、セラミックのような硬質の音がする。123年前に噴火し、赤茶けた旧溶岩の間を川のように黒い溶岩が流れている。所々に大自然のトイレのような熱の噴出口がそのまま残っている。自然がかもす芸術だ。しかし、少しずつ植物が生え始めている。パイオニア・プラントというそうだ。ハコベのような糸状のもの、小さなハシラサボテンのようなもの。何れも赤茶けている。溶岩のミネラルを栄養としているとのことだ。雌が雄の2倍の大きさというガラパゴスバッタが1匹、やはり赤茶けている。ガイドのペペが英語とスペイン語を駆使して大奮闘だ。「チーズ」「テキーラ」「バタータ」「ギャラクシー」とそれぞれ好き勝手に言いながら、溶岩の上で記念写真をパチリ。
新旧の溶岩とジョアンナ 仲間入りしたアシカ
船に戻り、着替えて海水浴へ。砂浜で日向ぼっこと磯遊び。仲間はスノーケリングだ。アシカが泳いでいる。海イグアナも一緒に泳いでいる。磯にはベニイワガニが群れている。25cmほどのヨウガントカゲもちょろちょろと這っている。イルカがスノーケリング仲間に混じって入江に入ってきた。動物が主役のガラパゴスだ。
メキシコ人の親子が話題になっていた。「あの娘は何歳ぐらいかね」「まだ成熟しきっていないから15歳くらいかもね」女性たちの品定めが始まった。確認することになったようだ。何と20歳とのこと。男の私の目から見ても幼い感じがする。成熟の早いラテン系とは思えない。しかし顔は歳を隠せても体は歳を隠せない。女性同士のチェックが厳しくなるのも理解できる。
バルトロメの砂浜 絶景バルトロメ
昼食後、バルトロメ島へ向かう。砂浜にアシカが2頭、昼寝をしている。このアシカは茶色だ。アシカの背中でヨウガントカゲがこれまた昼寝をしている。のどかな時間だ。アシカが1頭、我々の仲間に入ってきた。場所を空け、アシカの居場所を確保する。仲間に入れた喜びを体一杯に現している。一緒に昼寝だ。これこそ、動物と人間の共生というべきなのだろう。ガラパゴス諸島は赤道直下にありながら、フンボルト海流の影響で気温は低い。北半球のガラパゴスアシカと南半球のガラパゴスオットセイが同居するという面白い顔合わせになっている。オットセイは乱獲のため非常に少なく、波の静かな岩浜で暮らしている。この2種を見分けるのは、素人には難しいそうだ。棘々のカラタチのような木とマングローブが海岸沿いに緑を添えている。穏やかな波。何処までも青い海。観光船が数隻浮かんでいる。のどかな昼下がりだ。小魚の群れ。貝は見当たらない。何故かアブに刺された。
再び靴を履き替え、溶岩の山の頂にある灯台を目指す。木の階段が整備されている。噴火の跡が生々しい。植物らしきものは見当たらない。簡易な赤い角型の灯台に到着した。風か心地よい。素晴らしい景色だ。まるで天然の箱庭のようだ。サンタ・クルス島も遠望できる。雲間から太陽が後光のように差し込む。幽玄な風景をかもし出す。夕日が穏やかに雲を染めバルトロメに沈んでいった。
キャビンに戻ると、封筒が2つとアンケート用紙がベッドの上に置かれていた。1つはクルー用、もう1つはガイド用であった。案内パンフを見ると、ガイドには1日10ドル、クルーには1日10〜15ドルと書かれている。チップのことだ。目安が提示されていることにも驚いたが、5日間で100ドル以上だ。GALAXYとは今夜でお別れだ。お別れ会が催された。ペペがお礼とチップのことを懇切丁寧に説明する。クルー全員と乾杯で別れを惜しんだ。
シェフが腕によりをかけた夕食に舌鼓、最高のもてなしだった。話題はチップに集中した。「料理は美味しかったし、サービスも行き届いていた。クルーは10人だし、50ドルはやむを得ないかな」「しかしガイド1人に50ドルは高すぎないか」というのが大方の意見だった。グラスにナプキンで折った鶴が飾られていた。ユミが「鶴の恩返しだね」と一言。うまいことを言う。
キャビンに戻り、日本人としてのプライドとキャビンを1人で使わせて頂いた御礼の意を込めて応分の金額を2つの封筒に入れて眠りに就いた。船は速度を上げ、サンタ・クルス島に向かっていた。その揺れが体に伝わってきた。「いつまでも絶えることなく 友達でいよう 明日の日を夢見て 希望の道を〜♪」
平成21年10月23日
須郷隆雄