エクアドル便り66号

第1回リオバンバ10キロマラソン

 地元紙プレンサで、第1回リオバンバ10キロマラソンが開催されることを知った。12月15日の日曜日8時スタートだ。主催はチンボラソ・セメント梶B早速チンボラソ・セメント本社に行き、参加料3ドルを払い、申し込む。ゼッケンナンバーは322番、当日ナンバー入りのTシャツと帽子が支給されるとのことであった。芸術の秋とともにスポーツの秋である。

 10年以上前に何度かマラソン大会に参加したことがある。しかし、10キロが限界だった。概ね1時間で走っていた。以後は走ったことがない。せいぜい江戸川の遊歩道を散歩する程度だった。それがどういう風の吹き回しか、10キロマラソンに挑戦する気になった。ここリオバンバは標高2750m、歩くだけでも息が切れる。無謀と言えば無謀な挑戦だ。歩いても2時間あれば何とかなるという気楽さもあった。

  

         322番のTシャツと帽子                    壮年の部優勝者セサール

 6時起床。体調を整え、スタート地点のチンボラソ・セメント本社前に向かう。雲ひとつない晴天だ。最早大勢のアスリートが集まっていた。受付を済ませ、322番のナンバー入りTシャツと登山帽のような帽子を受け取る。15歳未満の少年の部、25歳未満の青年の部、25歳以上の壮年の部、更に車椅子の部に分かれた。当然壮年の部、見渡した限りでは最高齢かもしれない。それとなく準備運動をする。掃除婦のエステーラの家族も来ていた。ご主人が参加のようだ。警察、軍隊、救急隊それにボランティアと万全な警備体制である。テレビ、新聞等の報道関係がインタビューして回っている。いよいよ8時、係員が壇上に上る。「事情により出発を30分遅らせる」とのアナウンスであった。エクアドルらしい。

 定刻8時30分にスタート。最初から最後尾だ。何とか付いて行く。やがて坂道、息が切れてとても走れない。やむなく歩く。数人の仲間もいる。正面に雲ひとつないチンボラソの雄姿が望める。下りに差し掛かり、また走りだす。5キロ地点で水の供給があった。町の中心部に入るに従い、大勢の市民の応援を受ける。手を振る余力は残っていた。しかし息苦しい。10キロ地点でまた給水がある。ビニール袋に入った水だ。ビニールが厚くていっこうに開かない。ビール袋を道路に投げ捨て走るが、一気に疲れが出た。石畳は走りにくい。正面に鏃のようなアルタールを眺めながら歩く。走るより歩くほうが多くなる。しかし声援に手を振る余力はまだ残っている。沿道からおばちゃんがレモンを渡してくれた。

 ドロロサ公園を左折し、リベルタ公園を通過し、カテドラルのあるマルドナード公園を右折する。コンセプシオン教会の広場を過ぎ、我が家の近くの4月21日公園の坂道に差し掛かる。歩くのも辛い。最早後続は誰もいない。前を足のすらっとした子が歩いている。女の子かと思いきや、15歳前後の少年だった。並んでしばらく歩く。「ゼーゼー、ハーハー」と声を出しながら歩いたり走ったりを繰り返す。救急車が寄ってくる。救急隊が声をかける。「大丈夫ですか。車に乗りませんか」と。救急車に乗る訳にはいかない。手を振って拒否する。どうも制限時間を越えているようだ。ゴールが見えてくる。少年に「バモス(行こう)」と声をかけ、走り出す。並んでゴールイン。誰からも声援を受けなかった。1時間20分、思ったより好タイムだ。それほどの疲労感はなかった。 

 紀元前450年、マラトンの戦いでペルシャ軍を破ったアテナイ軍の勝利をエウクレスという兵士が伝令として、アテナイの城門でその勝利を告げ、力尽きて息を引きとったという故事にちなんでマラソンは生まれた。もし10キロを歩かずに走り通したら、エウクレスのように力尽きて息を引き取ってしまったかも知れない。

 ゴールは凄い人だ。特設ステージではエアロビの若者がマンボ、チャチャチャ、メレンゲ、サンバ、レゲェと激しいリズムに乗って踊っている。観客も一緒に踊っている。腰を下ろし、暫く無言のまま放心状態で眺めていた。11時から表彰式が始まった。エクアドル国歌斉唱。部門ごとにミス・リオバンバから賞状を受ける。優勝者よりもミス・リオバンバに目が行ってしまう。こんな美人がリオバンバにいたかなといった感じだ。帰りがけにサン・ファン選出理事のフアンの家族に会った。弟と息子が参加したようだ。参加者は800人とプレンサが報じていた。

 帰宅後、シャワーを浴び、そのまま寝込んでしまった。目を覚ますと下の道路が喧しい。タクシーと乗用車の交差点での衝突事故だ。乗用車のフロントは大破していた。大勢の人だかりだ。犬も尻尾を振りながら観客に加わっている。物売りがやって来て、店を開いている。まるでお祭りのような騒ぎだ。

平成21年11月15日

須郷隆雄