エクアドル便り67号

蝋燭の灯

 

 水不足による節電のため、1日4時間の停電が続いている。何時解除になるかは解らない。雨季も近い。天の恵みを待つしかない。

 電気のない生活が意外な効用をもたらした。蝋燭を点すと、揺れる炎が途端に別世界へ、遠い世界へと誘ってくれた。目が馴染むと蝋燭の灯も意外に明るい。光源の明るさの単位「カンデラ(燭光)」は蝋燭1本の明るさを基準にしている。マッキントッシュのiPodからヨハン・バッヘルベルの「カノンニ短調」が聞こえてくる。何もすることのない時間。心静かにバロックを聴く満ち足りた時間。夜がゆっくりと過ぎていく。蝋燭の灯が物質文明の光と影を映し出しながら。蝋燭の時代より何が豊かになったのであろうか。時計を逆回しすることは出来ない。しかし、思いを馳せることは出来る。瞑想の時間を与えてくれた。

  

       蝋燭の灯                      夜空

 人類が火を発見し、使うようになったのは50万年前の旧石器時代と言われる。ちなみに蝋燭が使われるようになったのは紀元前3世紀の頃だ。狩猟採集の生活から農業が始まったのは紀元前8000年頃のメソポタミア地方であった。ワットの蒸気機関の発明により、農耕社会から産業社会に変わったのが18世紀。アルビン・トフラーが「第一の波」(農業革命)、「第二の波」(産業革命)に続く「第三の波」と呼んだ脱産業社会への転換という「第二の産業革命」は1950年代である。「情報革命」とも言われている。火の使用から「第一の波」まで概ね50万年。「第一の波」から「第二の波」まで約1万年。「第二の波」から「第三の波」まで200年。「第四の波」が何なのかは解らない。しかし、近い将来であることは間違いない。このスピードは止められないが、人類の滅亡をより早めているようにも思える。ヨハン・セバスチャン・バッハの「主よ、人の望みの喜びよ」が流れていた。

 古代マヤ文明の「ドレスデンの絵文字」によると、2012年12月21日に現在のサイクルが終わり「ゼロの日」を迎え、もう1つの長期暦が始まるとされている。小惑星の衝突あるいは天の川銀河の中心と地球と太陽が一直線に並ぶ「銀河直列」などにより、地球の極が移動する「ポールシフト」が起こり、人類滅亡の日を迎えるという。当然異論もある。「ノストラダムスの大予言」と言うまやかしもあった。しかし、この予言をテーマにハリウッド映画「2012」が公開された。トマゾ・ジョヴァンニ・アルビノーニの「アダージョト短調」に変わっていた。

 銀河直列によるポールシフトが起こるのか、確認のため屋上に上がってみた。町の灯は消えている。月はない。絶好の天体観測日和だ。東の空にオリオン座らしき星座が見える。近くにカシオペアがある筈だ。しかし、それを見つけることは出来なかった。天上に、やけに明るい惑星が輝いている。木星だと言う人もいるが、定かではない。東の空に時折稲光。雷鳴は聞こえない。その度に、アルタールが浮き上がって見える。西の山並みに二筋の炎が見える。山焼きなのか、山火事なのか、溶岩の噴出しのようだ。クリストフ・ヴィリバルト・グルックの「精霊の踊り」が聞こえる。流れ星は結構多い。しかし、人類滅亡の兆候は現れていない。

 蝋燭の灯を見ていると「まんが日本昔ばなし」の世界に引き込まれる。川内康範作詞の「にっぽん昔ばなし」が聞こえてくる。「ぼうやいい子だねんねしな 今も昔もかわりなく 母のめぐみのこもり歌 遠い昔のものがたり」。1本の蝋燭は、人の一生のようでもある。蝋燭が燃え尽きると命も尽きる。三遊亭円朝の古典落語「死神」に、蝋燭が「ファー、消える」と言って高座から転げ落ちる場面がある。壁に映る蝋燭の灯の影は、この世からあの世へのドアを開け、幽玄な宇宙へ導き入れるような不思議な誘惑がある。

 アントニオ・ヴィバルディのバイオリン協奏曲「四季」で我に返った。長引く停電と蝋燭生活も、何もすることのない瞑想の時間も、次第に苦痛になってきた。やはり人間はないものねだりのわがままな存在のようだ。

 行動経済学の研究は今、「幸福」を研究するところまで広がっている。所得が小さい時は、所得という尺度が幸福度に大きく貢献する。しかし、所得がある程度になるとその尺度の比重は下がり、人間関係、仕事の満足度、心といったものが上位にランクされる。合理性の追求が幸福の絶対的尺度とはなりえない。ルドルフ・バウムガルトナー指揮のルツェルン弦楽合奏団のバロックの響きが、まだ耳に残っている。

 

平成21年11月20日

須郷隆雄