エクアドル便り70号

教会に響くギターの調べ

 

 ロスアンデス・ギター・コンサートがサンフェリペ・バシリカ教会で催された。コスタ・リカやスペインのギタリストも参加することから、第11回インターナショナルコンサートと銘打たれていた。サンフェリペ教会は重要な教会の尊称としてバシリカが冠されている。バシリカとは、古代ローマの裁判所などの建物のことだったようだ。リベルタ公園の正面に建っている。中に入るのは初めてだ。

 バシリカと付いているだけあって、なかなか重厚な趣がある。神々の中での演奏会も初めてだ。ギターの音色が天国から聞こえてくるような荘厳な雰囲気を感じる。以前、我が家の近くの古刹本行寺で行われた「ふれあいお堂コンサート」を思い出す。お堂の中で座布団に座り聞く、柳澤康司率いる「ザ弦楽座アンビエンス」のコンサートだった。モーツアルト曲が多かったよう思う。しかも外はしとしとと雨が降っていた。ホールで聞くコンサートとは違った感動を覚えた記憶がある。

  

      教会夜景              教会内部

 客の集まりは、礼拝と違ってあまり芳しくない。コルタ・リカのカルロス・カストロの演奏から始まった。静かなメロディーが心にしみる。賑やかなエクアドルリズムを聞きなれていたせいか、やけに感動した。まだ行ったことのないカリブ海に沈む夕日を思い浮かべて聞いていた。以前、子供たちが歌った合唱曲「カリブ夢の旅」を思い出しながら。「カリブの眠る夢たち 目を覚ませ 時がきた」

 カルロスが私の隣の席にやってきた。地方紙プレンサに写真入で報じられていたので、すぐに解った。写真を1枚と握手を求める。子供たちもサインをもらいに集まってきた。

 スペインのフェルナンド・パラシオスがギターを奏でる。地中海の響きだ。ギターのシャワーを天上から浴びているようだ。フラメンコのような激しさはない。アンダルシアの「太陽の海岸」から、乙女の恋心を哀愁にとんだメロディーで切々と伝える。タルレガの「アルハンブラの思い出」は聞けなかった。スペインはギターの本場でもある。世界各地からその道を目指す若者が集まる。アルゼンチンで日本語を教えたフェルナンダの弟も、スペインへギターの勉強に行っていると言っていた。

 しかし、世界の三大ギタリストと言われるエリック・クラプトン、ジェフ・ベック、ジミー・ペイジはともにイギリス人だ。日本ではエレキの王様寺内タカシが選ばれたことがある。クラシック・カバーの「レッツゴー運命」や日本民謡カバーの「津軽じょんがら節」が有名だ。土浦の実業家の息子として生まれたが、放蕩息子で鼻っ柱の強い男だった。しかし、「エレキ部落の大統領」など著書も多い。クロード・チアリの「夜霧の忍びあい」や「黒いオルフェ」も思い出に残る。

 高校の頃、ブラザーズ・フォーのフォークソングに出会った。シアトルのワシントン大学の4人の学生が1958年に結成したグループだ。1960年代にカレッジフィークという音楽ジャンルを確立した。今までに聞いたことのない清々しいハーモニーと清潔感に、えらく感動したのを覚えている。「七つの水洗」{グリーンフィールズ}「500マイル」「グリーンスリーブス」「遥かなるアラモ」「悲しきカンガルー」「花はどこへ行った」思い出すだけで感動が甦る。以後ギターを「ボロン、ボロン」と弾くようになった。20曲は作ったであろうか。今思うと赤面するような曲ばかりだ。青春の思い出である。今は1人、部屋の片隅でオカリナを「ピーコロ、ピーコロ」吹いている。「今日の日はさようなら」と「瀬戸の花嫁」が練習曲だ。なかなか息が続かない。三日坊主というが「三年坊主」だろう。私の趣味はだいたい3年がサイクルだ。

 エクアドルからはロス・リオスやナポ、それにリオバンバからギタリストが参加していた。9時半終了。教会の終了時間は早い。教会の中を一周して帰る。ライトアップされた、憂いにとんだマリア像が神々しかった。リベルタ公園にメディアルナのような月が懸かっていた。家に帰るとまたもや停電。月明かりが部屋の中を照らしていた。

 

平成21年12月10日

須郷隆雄