エクアドル便り72号
プヨの忍び逢い
雨が降り出しそうな朝7時、プヨに向かった。プヨはリオバンバの東115kmにあるパスタサの県都だ。パスタサ川沿いにある人口35,000ほどの、アマゾンに程近いオリエンテの町である。
温泉の町バーニョスを過ぎると急に山並みが険しくなる。切り立った山肌を切り取った道が続く。見下ろせば千尋の谷だ。川幅の狭い、まだ急流のパスタサ川が流れている。ゴンドラが川を跨いでいる。トンネルが多い。照明はない。暗黒の世界だ。悪魔小屋の滝、マチャイの12滝がパスタサ川に流れ落ちている。一大景勝地でもある。伊豆の河津七滝のような優雅さはない。荒削りな豪快そのものだ。やがてみかん畑が広がる。みかん売りがやってくる。乗客の家族がみかんの皮をバスの窓から吐き出す。食べては吐き出し、これを繰り返す。親が率先してやるので子供に罪の意識はない。マルクスは「存在は意識を決定する」と言ったが、親の行為を見た子は、またその子に同じ行為を伝えていくのではないだろうか。川幅が次第に広がる。アマゾンの予兆を感じる。風が生暖かい。
インディヘナとの出逢い プヨ婦人会即売会
雨雲に覆われたプヨに到着した。ターミナルは工事中で雑然としている。駅前のレストランでコーヒーを注文する。コロンビアから出稼ぎに来ているという青年が応対する。「中国人か」と聞いてくる。「日本人だ」と言うと、「中華料理屋に友達がいる」と教えてくれた。感じのいい青年だ。犬が寄ってくる。頭を撫でるとしばらく脇に寝そべっていた。別の客が来るとそちらに浮気をする。メニューを見ると「TILAPIA(ティラピア)」と書かれている。さすがにオリエンテだ。アマゾンを実感する。
町の中心まで500mと書かれている。無舗装の道を歩いて行く。優に15分は懸かった。町の三叉路にインディヘナらしき男女の像がある。カテドラルのある5月12日公園に行ってみた。教会の中ではギターと女性の歌にあわせ、ミサが行われていた。スペイン統治時代の建物はない。昼食にティラピアを食べる。ご飯の上にドンと油で上げたティラピアが1匹載っていた。鯛のような味で、なかなか美味しい。ティラピアはもともとアフリカと中近東に分布していたが、食用にするため世界各地の川に導入されたという。雑食性で外観は黒鯛に似て、味も食感も鯛に似ている。確かに鯛と間違える。食べるまではティラピアをピラニアと勘違いしていた。ピラニアは食べられないだろう。食べられてしまうかもしれない。
インディヘナの男女像の近くに宿を取った。夕方から激しい雷雨。近くのアサード店で夕食を済ます。翌朝、雨の音で目を覚ます。激しい降りだ。ホテルの食堂で朝食をとる。マスターに「前のインディヘナの像は何なんだ」と聞くと、「ヨーロッパ青年とインディヘナ女性の出逢いの像だ」と言う。確かに女性は裸で、男性は洋服を着ていた。しかも傘を差している。スペイン人と言わずにヨーロッパ人と言ったのには、若干の違和感を覚えた。禁じられた恋。侵略者スペイン青年とインディヘナ女性の雨に紛れた忍び逢いのように思えた。雨は激しさを増していた。
教会は閉ざされていた。隣のホールに入ってみる。「La Voz de Dios puede ser Tu Voz(神の声はあなたの声)」と書かれ、ガンジーやマザー・テレサ、ルーサー・キング牧師などの言葉が掲示されていた。表で、プヨ婦人会がクリスマス用のぬいぐるみを売っていた。クリスマス・ツリーとサンタ・クロースのぬいぐるみを買った。これで一人寝の我が家でもクリスマスが迎えられそうだ。雨はやむ気配がない。
市役所で暫し一休み。熱帯植物を観察。真っ赤なランが鮮やかだった。ヨーロッパ青年とインディヘナ女性の禁じられた忍び逢いを思い浮かべながら。次第に雨も上がってきた。蒸し暑さが戻る。泥だらけのターミナルへ。来た時と同じレストランでコーヒーを飲む。コロンビアの青年はいなかった。浮気な犬も見当たらない。変わりに旅行中と思しきアメリカ青年が2人、無言で食事をしていた。
パスタサ川は茶色の濁流となって勢いを増していた。オリエンテは最早雨季の真只中だ。
平成21年12月25日
須郷隆雄