エクアドル便り74号

アマゾンの贈り物(地球の肺)

 

 平成22年(2010年)寅年の元旦をアマゾンで迎えた。静まり返っている。見渡せばジャングル。灼熱の太陽が照り付けている。部屋の中をアリが這い回っていた。スチパカリ・ロッジに人の気配がない。やむなく部屋より快適なハンモックに揺られていた。セミの声が聞こえない。日本の夏に良く似た蒸し暑いアマゾンには、セミはいないのだろうか。夏とセミは切っても切れない関係だ。1年中が夏のアマゾンでは、セミには住みにくい環境なのかもしれない。日本の夏とは、やはりどこかが違う。

 9時ごろ従業員が朝食の準備を始める。最早カヤンベの家族はいない。アメリカとオーストラリアの若者たちが目をこすりながら起きてきた。コロンビアの家族はまだ見当たらない。10時、ようやく朝食だ。昨夜の年越しで、羽目をはずしすぎたのだろう。それにしてもエクアドル的というべきか、アマゾン的というべきか、お客のことは関係ないようだ。

 11時、「カランカランカラン」と鐘がなり、長靴に履き替えジャングル探検に出かける。ツアーガイドのウィルソンが懇切丁寧に説明する。薬草、薬木、薬虫まで、ジャングルには無駄なものは無さそうだ。木の幹より太いアリの巣が、木の幹から伸びている。カバーニャの床を這い回っていたアリの仲間の巣に違いない。10分も歩かないうちに、コロンビアの家族がロッジに帰ると言い出だした。朝方5時まで飲んでいたとのことだ。何ともラテン的家族だ。木々を抜ける風が心地よい。

  

        アメリカとオーストラリアの若者               シャーマンの儀式

 椰子の葉で、帽子を作る。鉢巻、メガネまで作る。木の枝に徳利のような鳥の巣がいくつもぶら下がっている。藤蔓のようなもので輪を作り、それを足にして木を登っていく。ジャングルに無駄なものは無い。生活の宝庫だ。唇の形をした赤い花。それを口にくわえるとまるで淫乱な、たらこ唇に変身する。黒と青の蝶が舞っていた。艶やかな南国の夜の蝶はいなかった。木の枝をサルが駆け抜けていく。長靴が重い。汗が滴り落ちる。八甲田山死の彷徨のようだ。ガイドのウィルソンが神成大尉のように「天は我らを見放した」と叫べば、我々はそのまま凍死ならぬ熱死というところだろう。木々の間から見える紺碧の空が目に眩しい。

 見晴台で一休み。遥か彼方にナポ川が見える。木をゆする風の音が心地よい。ウィルソンが魂を清めるシャーマンのセレモニーを始めた。タバコの煙を吹きかけ、木の枝でお祓いをする。皆神妙な顔をして魂を清めている。やましい心を持っているからだろう。ぬかる道を降りて行く。足元が悪い。ウィルソンは女の子には手を貸すが、我々には気配りが足りない。赤いたらこ唇をくわえて降りて行く。浅瀬には、透明に近い小エビ、小魚、アマガエルもいる。泥を染料に、顔にインディヘナのメイキャップをしてくれた。そのメイクを大切に、インディヘナになった気分で降りて行く。縄文杉のような巨木が天を突いている。蔦のようなものが下がっている。ランも無数に着生している。幾星霜、このアマゾンを見続けて来たのだろう。人が1人入れる空洞があった。

 4時間に及ぶジャングル探検も我らを見放すことなく無事ロッジに戻った。コロンビアの家族がハンモックに揺られて、賑やかに談笑していた。大事にして来たインディヘナのメイクを鏡で見てみた。泥のメイクが日に焼けた顔と汗で、何だか訳の解らない惨めな顔になっていた。シャワーで汗とともに洗い流し、美男のハポネスに戻った。

 ジャングルは言うまでも無く熱帯雨林のことだ。年間1000mm以上の降水量がある。生息する生物の多さ、種の多様性が特徴で、世界の半数以上がこの熱帯雨林に生息している。酸素の40%を供給しているとも言われる。しかし、8000年前は60億haあった原生林が現在は12億haまで減少しているという。その速度は毎秒0.5〜0.8haに及び、このペースで行けば40年で地球上から熱帯雨林は消滅すると予測されている。絶滅する生物種は年間5万種に上る。アマゾン熱帯雨林の70%はブラジルであるが、二酸化炭素の吸収量が多いため「地球の肺」とも呼ばれている。

 皆は水遊びに出かけて行った。ハンモックでビールを飲みながら、「地球の肺」に抱かれて疲れを癒していた。前の欄干に女性のビキニ型パンツが干してある。最近の女性は羞恥心を忘れてしまったのか。かつては女性のパンツは膝まであったそうだ。それが時代とともに小さくなり、今やティーバックなるものまである。女性史をパンツから紐解くと面白い考察が出来るかもしれない。夕食は10時だった。「地球の肺」アマゾン熱帯雨林の果たす役割を認識した。

平成22年1月1日

須郷隆雄