エクアドル便り76号

アマゾンの贈り物(インディヘナ先住民部落)

 

 「カンカンカン」という鐘の音とともに先住民部落へ出発する。呼び出しはいつも田舎の小学校のような鐘の音だ。ロッジに適した響きである。昨日と同じカヌーで対岸に渡る。今日はキトから来た家族連れと怪しげなカップルと一緒だ。この怪しげなカップルから、抱き合ったり、キスしたりしているところを撮ってくれと依頼される。証拠写真のつもりなのか、とても付き合いきれない。昨日通過したインディヘナの部落に立ち寄る。ウィルソンの知り合いのようだ。高床式といった感じの木造住宅だ。冷蔵庫も置いてあり、大分西洋文化に犯された部落だ。首狩族といったイメージは全く無い。服装も短パンにポロシャツ、野球帽といったいでたちである。「何だこれは」といった感じだが、インディヘナの生活の一端を披露してくれた。

 辺り一面に、生活に必要な食材が植えてある。レモングラスにユカの木、グアナバナやパパイヤ、カカオにマンゴー、生活に必要な食料は手の届くところにある。サトウキビにナランヒージャ、更にコーヒーの木だ。あくせく生活する必要は無い。マンゴーの木の下で、サトウキビをかじる。なかなか甘くて美味しい。ユカを茹でて食べさせてくれた。サツマイモの味だ。ユカやサトウキビで酒も作る。70度というかなり強いもののようだ。サトウキビの酒を飲み、ユカを食べ、近くの川で魚を取り、パパイヤやマンゴー、グアナバナをデザートにコーヒーやナランヒージャのジュースを飲み、レモングラスの香りで眠る。インディヘナの生活も満更ではない。

  

         インディヘナの住まい                    砂金取り

 ここを掘ると金が取れるという。「ここ掘れワンワン」である。小屋の中に、金を選別しているおじさんがいた。髭もじゃのスペイン人だ。砂金である。川で採取しているとのことだ。未だにアマゾン川流域では金が取れるそうだ。黄金を求めてやって来たスペイン人の末裔なのだろう。金の魅力に取り付かれ、インディヘナの部落に住み着いてしまったようだ。早速川原で砂金の採取に取り掛かる。大きな中華鍋のようなものに川砂を入れ、ゆっくり揺すりながら砂を取り除く。僅かだが金が取れた。驚きである。キトの家族が夢中になっている。何とも他愛の無いインディヘナ先住民部落訪問であった。

 午後は椰子を吹く風の中で、ハンモックに揺られうたた寝をしていた。焼き尽くすような日差し、青い空、白い雲、相変わらずセミの声は聞こえない。怪しげなキトのカップルが帰っていった。金の虜になったかと思った家族連れも帰っていった。客は他には誰もいない。寂しいスチパカリの夕暮れを迎えていた。

 車寄せの茶屋でビリヤードが始まった。アマゾンとビリヤード、あまりお似合いではない。ガイドのディエゴとウィルソンを交え、仲間に入る。30年以上キューを握っていない。当時は赤白の四つ球だった。今日は15個の的球を打つポケットビリヤードだ。かつての腕を披露しようと意気込んでみたが、30年のブランクはいかんともしがたい。勘が戻らないまま、惨敗であった。ハスラーのようには行かない。エクアドルは結構ビリヤードが盛んだ。リオバンバの街角にも何軒かある。いい年をしたおじさんたちが、大声を上げ熱狂しているのを見かける。日もとっぷりと暮れた。懐中電灯を手に、川沿いのジャングルを戻る。これが夜のジャングルツアーということのようだ。

 客もいなくなり、夕食は従業員と一緒に取ることにした。音楽をがんがんかけ、どっちが客なのか解らない。ディエゴに日本語の講義をする。ディエゴからはキチュア語の講義を受けた。「カウサン・ギチュ(こんにちわ)」「カジャガマ(さようなら)」「パガラチュ(ありがとう)」キチュア族にちょっと近づいた感じだ。「プニュナイ(眠たい)」「カジャガマ(またね)」と言って、かび臭いカバーニャに戻った。居待ちの月が天中に差し掛かっていた。

 人類が最初にアマゾンに到着したのは紀元前12,000年ごろだ。エクアドルアマゾンにはキチュアなど9種族の先住民が生活している。168,000人にのぼるという。先住民にとって自然とは、自給的生存経済の基礎を成すものだ。持続可能な開発と利用、自然との共生が求められるのであろう。開発と環境、伝統文化との調和の取れた発展を望まずにはいられない。

 カビの臭いに悩まされ、蟻や蚊など虫たちの痛くて痒い歓迎を受け、ガイド仲間や従業員のいい加減さにも閉口したが、この大らかなアマゾンの大自然に免じて許すことにした。翌朝、「アマゾンの大自然の贈り物を有難う」と記帳して、「自然の贈り物」スチパカリ・ロッジを後にした。雨季の真只中にもかかわらず、灼熱の太陽が照り付けていた。

平成22年1月3日

須郷隆雄