エクアドル便り78号
友をたずねて三千里(トレレウ)
マルコ少年はイタリアのジェノバからアルゼンチンのツクマンの母を訪ねて三千里の旅をした。実際には15200km、3800里に及ぶ。アルゼンチンの友を訪ねて、思い出と郷愁の三千里の旅に出た。
カーサ・デ・テで福井ご夫妻と プンタ・トンボのマゼランペンギン
先ず、200ドルをペソに両替する。レートは1ドル3.32ペソだ。3.82と聞いていたが、空港のレートは割が悪い。タクシーを拾い、国際空港エセイサから国内空港アエロ・パルケへ向かう。運転手、やけに愛想がいい。助手席に座り、会話も弾む。懐かしい町並みだ。7月9日大通りを過ぎ、料金を聞くと380ペソと言う。日本円にして1万円だ。物価が上がったとはいえ、高すぎる。ホテル2泊分だ。思い出の国へ来て、最初の出会いがこれだ。油断もすきもない。空港裏のラ・プラタ川、空港向かいのパレルモ公園の高層住宅も以前と変わりない。8時、パレルモに真っ赤な夕日が沈んでいった。ブエノスアイレスの思い出が甦り、ちょっとセンチな気分になった。空には上弦の月。再び8時45分アルゼンチン航空でトレレウに向かう。ブエノスの街の灯が眼下に広がっていた。やがてパタゴニア地方、チュブ州トレレウの町の灯が見えてくる。11時、福井ご夫妻の出迎えを受ける。キトからリマ、ブエノスを経由してトレレウまで、時差2時間を差し引いても14時間を一気に来てしまった。疲労困憊だ。しかし懐かしさのあまり、奥様の夜食を頂きながら2時まで話し込んだ。
翌日、福井ご夫妻の案内でマゼランペンギンの生息地「プンタ・トンボ」へ向かった。見渡す限りの地平線、まっすぐな道、荒涼とした大地。まさにパタゴニアだ。時折住宅が見える。水の確保が可能なところだけに人が住む。「運転手がグアナコ」と指差す。リャマに良く似ている。個人の牧場に迷い込んだようだ。しかしそこはマゼランペンギンの保護区だ。トレレウから南へ107km、ペンギンの王国だ。前は空の青、海の青が溶け込んだ大西洋だ。ウニャ・デ・ガト(猫の爪)という潅木の下に巣を作り生息している。我々の前をヨチヨチとペンギンの家族が愛嬌良く歩いている。しかしひとたび海に入れば、600kmの沖まで泳ぎ、1分間に12mも潜るという。鳥というよりは魚だ。陸上では良く空を仰いでいる。大空を飛び回った時代を懐かしんでいるのかもしれない。8月に巣をつくり、10月に産卵、11月にヒナが生まれ、1月に巣離れ、2月には成鳥となる。3月から7月までは大西洋を泳ぎ回り、アンチョビやメルルーサ、ペヘレイ、イカを食料としている。そしてまた8月には巣作りのため戻ってくる。
見渡す限りペンギンだ。何と120万羽いるとのことだ。巣離れし成鳥になる時期の訪問だったためであろう。テンジクネズミやマラも共棲している。コバルトブルーの海、紺碧の空、茶色の大地と燕尾服の小さなマゼランペンギンのコントラストが別世界を思わせる。
帰りにガイマンのカーサ・デ・テ(御茶屋)に寄る。町外れの農園の中に忽然とイギリス風の瀟洒な御茶屋が現れる。観光客も多い。1995年11月25日にダイアナ妃が訪れたとのことだ。ウェイトレスは皆おばあちゃん。しかし、イギリスの田舎を思わせる上品さがある。食べきれないほどのケーキや紅茶が振舞われた。コーヒーはなかった。ダイアナ妃の写真が飾ってあった。気のせいか、どこか憂いにとんでいるように見えた。
翌日はトレレウの北のリゾート地プエルト・マドリンに海水浴姿で出かけた。広々とした海水浴場だ。アスピリンのような砂浜、緑がかった海、赤青黄色のパラソル、ビキニ姿の女性、入道雲はない。風は冷たく心地よい。静かな大西洋が広がっている。海水を浴びるが、塩味が薄い。磯の香りも少ない。荒々しい太平洋とはどこか違う。のんびりとした心豊かな時間が過ぎてゆく。防波堤では、地元の人たちが釣りを楽しんでいた。ペヘレイが釣れていた。福井ご夫妻推薦の海を見渡すレストランでパエジャを注文する。パエジャはPara Ellaが語源で、彼女のために作る男の料理だ。海を見渡し食べる海鮮料理とビール、アルゼンチンの豊かさを感じずにはいられなかった。
翌日、午後1時トレレウからコルドバまでの大陸縦断バスに乗る。福井さんの見送りを受け、別れを惜しみつつトレレウを後にした。コルドバまでの20時間のバスの旅である。
平成22年1月24日
須郷隆雄