エクアドル便り79号

友をたずねて三千里(コルドバ)

 

トレレウからコルドバまでの20時間のバスの旅が始まった。見渡す限りの地平線、どこまでも一直線の道。国道3号を北へと進む。パタゴニア大地の風景は変わらない。「猫の爪」と称する潅木が点在する茶色の大地だ。パタゴニアとは、南米大陸の南緯40度付近を流れるコロラド川以南の地域の総称だ。1520年、マゼランがこの付近に住んでいた先住民を見て、パタゴン族と命名した。パタは足、ゴンは大きいという意味だ。大足族という意味のようだ。パタゴン族の住む土地からパタゴニアという名がついた。風が強く「嵐の大地」とも呼ばれている。

女の子が裸になっている。洋服を着せてもすぐ脱いでしまう。子供は裸が似合う。太陽が地平線に沈んでいった。ビンゴゲームが始まる。バス会社も客を退屈させないために苦心しているようだ。満月に程近い大きな月がパタゴニアの黒い大地を照らしながら着いて来る。車のヘッドライトが時折すれ違う。ノチェロスのフォルクローレが流れている。何度も何度も聞いた懐かしい曲だ。12時、サンタ・ロサに到着する。トイレを済ませ、まだ暖かい深夜の空気を胸いっぱい吸い込む。6時、朝日の昇り始めたリオ・クアルトに到着した。緑豊かな穀倉地帯に変わっていた。豊穣なコルドバ平原を北へと進む。9時半、懐かしのコルドバに到着した。Dr.比嘉さんの出迎えを受ける。相変わらず溌剌として若々しい。

  

        里子先生とのぶ子さんとエリカ                肥後さんと植木さんとシルビーナ

比嘉さんの運転で最初の訪問先大城宅を訪れる。玄関まで出迎えてくれた。皆5年前と全く変わっていない。庭のきゅうりとゴーヤも以前と変わらず、たわわになっていた。変わったのはエリカの婚約者マリアーノが同居していたことだ。今年の秋には結婚するとのことであった。のぶ子さんの絵が何枚か増えていた。暑い。汗が噴出してくる。例年にない暑さとのことだ。そのため電力不足で日に3回も停電するそうだ。先ずはシャワーを浴びる。ソーメンを頂く。美味しい。我が家に帰ったような心地良さだ。エリカとアサードの準備をする。元日本人学校の校長先生の里子先生もやってきた。今夜の宿泊先肥後さんもお呼びする。懐かしい顔ぶれとアサードに話が弾んだ。

午後5時、肥後宅に向かう。郊外の閑静な住宅街だ。世界地図が飾ってあった。いくつか印がついている。まだ行ってない国のようだ。私の目からは世界の殆どの国を回っているように見える。現役時代を含め専門家、SVとして海外生活40年のキャリアの持ち主だ。訪問者ノートが置いてあった。お世話になる旨を記帳させて頂いた。植木さんとシルビーナも交え、ベランダで肥後さん自慢の手料理とシルビーナ持参のエンパナーダで盛り上がる。8時から停電、13夜の月明かりとロウソクでスペイン語と日本語ごっちゃ混ぜの会話を楽しんだ。肥後さんはこの3月で70歳になられるという。とてもそうは見えない。「生涯元気、生涯現役」がモットーのなせる業であろう。12時、ようやく電気がつく。深夜になっても一向に暑さが衰えない。20時間のバスと酒、それにこの暑さで疲れが頂点に達した。

 翌朝、既に肥後さんは仕事に出かけていた。10時ごろ起き、シャワーを浴び、12時に御礼の書置きをして肥後宅を後にした。焼け付くような日差しを避け、厚かましくも再び大城宅に向かう。快く迎えてくれた。昼食を頂き、昼寝をする。エリカと婚約者マリアーノに植木宅まで送られる。まさにセントロ。カテドラルのあるサンマルティン広場の向いだ。しかし又もや停電。エレベーターは動いていない。重い荷物を背負い、18階まで息を切らし休みながら上る。非常階段だ。下を見ると足がすくむ。しかし、部屋からの見晴らしは素晴らしい。コルドバ市内が一望に見渡せる。ビールとお手製のつまみで、昨夜の続きの会話が始まる。とめどなく切れることがない。博識多才である。かつてコスタリカで4週間のスペイン語特訓を2回受け、3ヶ月の南米の旅をしたとのこと。スペイン語が堪能な訳だ。首に下げた手ぬぐいが何とも愛らしい。既に1時を回っていた。

 翌朝、植木さんに別れを告げ、サンマルティン広場を一周してバスターミナルに向かった。

 

平成22年1月28日

須郷隆雄