エクアドル便り80号

友をたずねて三千里(ビジャマリア)

 

コルドバのバスターミナルから10時45分、かつての任地リオバンバに向かった。緑のパンパを南下する。トウモロコシ、小麦、大豆の農場が地平線まで続く。牧場には牛の群れ。風景は以前と変わらない。5年前の思い出が走馬灯の如くよぎる。町もあまり変わっていない。ターミナルに1時に到着する。ふるさとに帰ったような懐かしさがこみ上げてきた。

かつて日本語を教えたフェルナンダに電話する。家族全員で迎えてくれた。ギタリストのノビオも一緒だった。フェルナンダは以前より若干スマートになったかなといった感じだ。日本の文化、芸能に関心が強く「日本に留学したい」と言っていたが、それは叶わなかったようだ。今も太極拳を続けている。家族と昼食を共にする。美人の母親と共に、心温かいもてなしを受ける。離婚したという噂もあったが、仲睦まじいご夫婦であった。フェルナンダと母親に送られ、5時に漸く馴染みのホテル・リプブリカに到着した。

かつての同僚アルフレドから伝言が届いていた。「22時に迎えに来る。25人の仲間が待っている」と記されていた。受付のパトリシアが少し日本語を話す。カリフォルニアで日本語に興味を持ったという。「1234・・・、リンゴ、にんじん、トマト」妙なものを覚えている。「こんにちは、いらっしゃいませ、ありがとう、さよなら」を教える。メモを取って覚えていた。エレベーターも部屋のクーラーもうるさく調子が悪いのは以前と同じだ。町もあまり変わっていない。よく通った喫茶店「ラス・リラス」は名前が「ラス・ムシカス」に変わっていた。以前住んでいたアパートも近くのスーパーも台湾人黄銀泉のキオスコも全く変わりなかった。

  

        フェルナンダの家族               フォルクローレの仲間たち

夜10時きっかりにアルフレドが迎えに来た。変わらないアル・カポネのような大男に息苦しいほど抱きしめられた。懐かしい再会である。以前と同じフォードのトラックでテルセロ川の川沿いのクラブハウスに向かった。まだ仲間たちは集まっていない。暫し川面に映る街の灯を見ながら思い出に浸る。フォルクローレの仲間たちが集まってきた。以前の仲間10人に、更に新しい仲間15人が全員集合だ。有難い。アサードパーティーが始まった。最早もみくちゃ、愉快な仲間たちだ。食べ飲み興に入るに従い、川原に出て何時ものようにフォルクローレを踊る。「チャカレーラ」とか「ガト」とか、かつて習ったステップから始まった。恥も外聞もなくお相手をさせられる。まるで彼女たちのペットのようだ。時折、満月が雲間から顔を出す。街の灯が川面を照らし幻想的な中にも、楽しく賑やかで感動的な一夜が過ぎてゆく。最早午前2時を回っていた。抱擁とキスで別れを惜しむ。来て良かったという実感が込み上げてきた。アルフレドのトラックで送られ、ホテルに戻った。

翌朝10時過ぎ、眠い目をこすりながら朝食を取る。白目に出血。赤目になっていた。無理と不摂生がたたったようだ。中央公園を散歩する。「デング熱に注意」の看板がある。以前にはなかった。熱帯や亜熱帯の病気と思っていたが、温暖化が進んでいるのだろうか。ジャカランダがうっそうと茂っている。花は咲いていなかった。かつての我が家を前に暫し懐かしさに浸る。ホテルへ戻ると、世話になった掃除婦グラシエラにばったり会った。以前と同様に、パンツから靴下まで全て洗濯をお願いした。

  

    マリサ宅                    アルフレドの家族

12時に英語教師で、スペイン語を教わったマリサの家族が迎えに来た。マリサは乳がんを患ったとのことで少し痩せたように見えた。グスターボは変わりない。フランコは15歳になっていた。ミカエラは18歳、以前はまだ幼かったが目を見張るほどの美しい女に変身していた。マリサ宅は土地を買いましたとのことで、ブール付きの豪邸になっていた。買いました土地は5000ドル、10年前はもっと安かったと言う。日本では考えられない。年老いた犬から子犬まで、犬が10匹。フランコがみな拾ってきたのだそうだ。芝生の庭で、クスターボのアサードを食べながら、ゆったりとした時間を過ごした。マリサの描いた絵が何枚か飾ってあった。当時、最後のお別れ会はマリサ宅で行って頂いたが、マリサが絵を描くとは知らなかった。マリサ夫妻に送られ、ターミナルで明日のバスの切符を買い、ホテルに戻った。ビジャマリアの夏もことのほか暑い。

午後5時、またアルフレドが迎えに来た。かつての勤務先ESILに向かう。校内を一周する。殆ど変わってはないが、講義棟が1棟増えていた。私が使っていた事務室はマリサが使っている。広くて快適だと言っているようだ。日本の仲間の協力を得て植えた、30本のアルゼンチンの桜といわれるラパーチョが元気に育っていた。一時は寒波と嵐で全滅との噂もあったが、感動であった。

アルフレド宅に向かう。当時はまだ建築中であった新居も完成し、家族付き合いまでさせて頂いたナタリアと結婚し、6ヶ月の男の子バウチスタが産まれていた。50haの広大な牧場の中にあり、肉牛を200頭、馬4頭を教師の片手間に飼っている。何とも贅沢な暮らしだ。暫く、ナタリアの家族も交え、マテ茶を回し飲みしながら当時の思い出に話が弾む。私が植えた白と黄色の特別なラパーチョ2本は枯れてしまったとのことだった。広大な牧場に夕日が沈んでいった。水を汲み上げる矢車が「カチャン、カチャン」と音を立て回っている。東の空に十六夜の月が黄色味を帯びて昇ってきた。「テラ、テラ」と鳴きながらテラが飛んで行く。蛍が飛び交う。南天に南十字星。大西部のど真ん中の一軒屋といった感じだ。まるで別世界だ。アルフレドがガウチョそのままのアサードを始める。自家製のサラミやソーセージ、生ハムを調理してくれた。実に美味しい。「暮らしは贅沢に見えるかもしれないが、金はないんだ」と言っていた。日本とは違う価値観で生きている贅沢さを感じずにはいられない。深夜12時過ぎ家族に別れを告げ、再びアルフレドのようにごついトラックでホテルに戻った。

翌朝洗濯婦のグラシエラが洗濯物を届けてくれた。台湾人黄銀泉のキオスコに行き、再会と別れを一緒に済ませる。「オウ、タカオ、一番」と何時もの挨拶で、マテ茶を土産にくれた。両替を済ませ、ホテルの仲間たちの見送りを受け、慌しくターミナルに向かった。アルフレドと同僚たちが待ち構えていた。別れと再会を約し、10時のバスでロサリオに向かった。涙が頬をつたっていた。

 

平成22年1月30日

須郷隆雄