エクアドル便り83号

新聞売りのおばさん

 

事務所に出勤して最初に行くのが、新聞売りのおばさんのところだ。1畳ほどの小さな売店である。地元紙プレンサから借りているのだそうだ。置いている新聞は、全国紙コメルシオと地元紙プレンサとロス・アンデス、そのほか併せて5、6紙ほどだ。大して売り上げも無さそうだが、これで家族の生活を支えている。何時も明るく、気さくなおばさんである。

家族は子供が5人。そのうち男が4人、1人はドイツに行って5年になる。他はそれぞれに機械工、お巡りさん、薬局の仕事をしている。女は1人、末娘で16歳、高校生だ。時々売店に来て、手伝いをする。亭主は7歳年下で、体を壊し今は新聞売りの手伝いだ。腹に20cmの手術跡があるという。店は昼まで、午後は街に出て売り歩くのだそうだ。新聞の値段は30〜50セントが相場である。店にはコーラやジュース類も置いてある。ヨーグルトやチーズの話をすると売ると言う。宝くじも売っている。1口50セントからだ。億万長者にと勧められるが、買ったことはない。街には宝くじ売りが多い。しつこいほど付きまとい、ちょっとした問題になっている。当たりくじは毎週日曜日に発表され新聞にも載る。当たったという話は聞いたことがない。

  

       新聞売りのおばさん夫婦                ジュース売りのおばさん

隣にジュース屋がある。通りかかると何時も元気に「ブエノス・ディアス(おはよう)」と声を掛けてくる。陽気なおばさんだ。色々な野菜ジュースを飲ませてくれる。「全てオーガニック、体にいい」と言うので、ニンジンとオレンジのミックスジュースを作ってもらった。なかなか美味しい。しかしコップが綺麗とはいえない。エクアドルは、あまり入れ物に気を使わないようだ。1杯50セント、贅沢はいえない。この店も昼頃には大概閉まっている。街に出て売り歩いているのだろうか。新聞売りのおばさん情報によると、離婚して今は1人もののようだ。高校生と3歳と、やたら年の離れた子供がいる。この辺りの情報は全て握っているのかもしれない。

新聞を買いに行くと、大体10分ぐらいは立ち話をしている。時々、「日本は何処にあるのか」とか、「何を食べているのか」とか聞かれる。「地球の裏側だ」と言うと、「へー、そんなに遠くから来ているのか」と驚いている。「生の魚を食べる」と言うと、これまたびっくり仰天している。娘が寿司の話をしてくれる。サッカーや音楽会などの催しの案内もこの高校生の娘さんが教えてくれる。おばさんより遥かに情報通だ。「神はいるのか。何を信じているのか」とも聞かれる。手を合わせて「仏教だ。あまり信仰心はないが」と言うと、「どうしてだ。神はいないのか」と問い詰められる。宗教の話になるとややこしくなる。彼らは「森羅万象、全てを神が創った」と信じている。「旧約聖書」の「天地創造」に由来するものであろう。日本にも確か「古事記」や「日本書紀」には「天地開闢」とか「国土創造」というシーンが記されている。しかし、彼らのように「森羅万象、全てを神が創った」と信じている日本人は皆無であろう。家族がみな幸せに暮らせるのは神のおかげだと固く信じている。家族の話もややこしくなる。「どうして家族は一緒に来ないのだ」と聞かれて、説明してもなかなか理解されない。彼らの答えは何時も単純明快だ。

世界最初の新聞は、中国の唐の時代に作られた「開元雑報」とされている。日本最古の瓦版は、1614〜15年の大阪の役を記事にしたものだそうだ。現在のような新聞は、産業革命以降のヨーロッパから始まった。新聞の語源は中国から来たと言われる。発行部数では中国、インド、日本、アメリカ、ドイツの順だ。人口の多い国が上位を占める。当然かもしれない。しかし新聞別では日本の三大紙がダントツである。戸配制度も日本特有なもののようだ。新聞紙の形も国によって千差万別だ。インターネットの発展により新聞離れが進んでいるという。

市場にいるおばちゃんたちは、一様に明るく気さくで生活力がある。豊かでもなく、教養があるわけでもないが、家族の生活を支え、エクアドルの底辺をしっかり支えているように見える。

 

平成22年3月15日

須郷隆雄