エクアドル便り84号

ビバ!オルメド

 

セリエA12チームによるCampeonato Ecuatoriano de Futbol(エクアドル・サッカー選手権大会)通称”Copa Credife”の第1ステージが始まった。地元リオバンバチーム「オルメド」は現在最下位の12位だ。屈辱を味わっている。応援に行かねばなるまい。

3月21日日曜日は春分の日でもある。対戦相手は現在8位の隣のトゥンガラウア県アンバトチーム「マカラ」だ。負けるわけには行かない。朝から晴天。オルメド公園の正面にあるオリンピックスタジアムは入場客でごった返していた。右側の入場券売り場はマカラのジャージーが目立つ。左側に並ぶ。入場券はParco20ドル、Tribuna10ドル、General6ドルと書いてある。Tribuna(上等な観覧席)ということで、とりあえず10ドル席にした。屋根もあり、正面のなかなか良い席だ。オルメド応援団が賑やかに太鼓やラッパで声援を送っている。ポンポンチアガールも黄色い声で応援だ。やはり地元、サポーターの数は敵マカラを圧倒している。しかし反対側正面で負けじと、マカラ応援団もドンチャラ声援を送っている。

正午12時キックオフ。観衆の声援が一段と高まる。応援合戦も激しさを増す。隣のオヤジがやたらと話しかけてくる。ペットボトルの水500ccが75セント、通常は25セント。高いと売り子に文句を言っている。オルメドが盛んにシュートするが、なかなかゴールには至らない。その度に拍手や口笛、そしてため息が漏れる。隣のオヤジがやかましい。右隣の青年はラジオ片手に静かに観戦している。押せ押せムードではあったが、パスワークが良くない。大きな見せ場もなく前半が終了した。

  

       オルメド応援団                   オルメド対マカラ戦

紺碧の空に、真っ白な雲が浮かんでいる。正面に最高峰チンボラソ、左手にインディヘナ反乱のフェルナンド・ダキレマらが決起したカチャ山、右手に市街が広がる。強い日差しだ。春分の日の赤道直下だ。太陽が直角に照りつける。影は足元だけ。しかし決して熱くない。むしろ心地よい涼しさだ。

エクアドルのサッカーは1899年、イギリス人アルフレド・ライトとロバート・ライト兄弟によりグアヤキルから始まった。1940年にエクアドル・アマチュア選手権、1957年にエクアドル・サッカー選手権として公式戦が始まった。2008年からは、セリエAの12チームによる新トーナメントが始まる。第1ステージは2月7日から7月4日まで、第2ステージは7月18日から11月28日まで、第3ステージは12月5日と12日で優勝チームが決定する。キトから「ナシオナル」「リーガ・デ・キト」「デポリティボ・キト」「カトリカ大学」「インディペンディエンテ」の5チーム。グアヤキルから「バルセリナ」「エメレク」の2チーム。クエンカは「クエンカ」、マンタは「マンタ」、サント・ドミンゴは「エスポリ」、アンバトから「マカラ」、そして地元リオバンバの「オルメド」の合計12チームである。優勝回数では、バルセロナとナシオナルがそれぞれ13回、エメレクが10回、2008年に横浜で開催された世界チーム選手権(トヨタ杯)で惜しくもマンチェスター・ユナイテッドに敗れたものの準優勝したリーガ・デ・キトが9回を誇っている。因みに地元オルメドは2000年に優勝を果たしている。当選手権のスローガンは「Saca la Pasion que llevas por dentro(君の心の中の情熱を燃やせ)」である。

15分の休憩を挟み、1時から後半戦だ。マカラが息を吹き返す。盛んにシュートを仕掛ける。しかし危ない場面を凌ぎ、果敢に反撃する。チャンスは何度もあった。格好怪我も多い。担架を持った医療班の出動も度々だ。応援にも熱が入る。「ダンダカ、ダンダカ、ダン。 オルメド。」結局時間切れ、引き分けである。ゴールのない試合はわさびの利かない寿司のようで、どこかピリッとしない。みな諦め顔でスタジアムを後にした。

リオバンバチーム「オルメド」の名は、グアヤキル独立の英雄で詩人でもあったホセ・ホアキン・オルメドに由来する。ニックネームは「サイクロン」だ。ユニフォームはマリンブルーで、肩に細い赤を配している。1919年11月11日に結成され、1971年にセリエB、1994年にセリエAに昇格した。2000年に全国制覇を果たしている。ホームグランドは18、000人収容のチンボラソ・オリンピックスタジアムである。何故オリンピックという名が付いているのかは解らない。スタジアムの真向かいにリオバンバとグアヤキル友好のホセ・ホアキン・オルメド公園がある。オルメドのコンクリート像が立っている。

人類は歴史が始まった頃から足でボールを蹴っていた。サッカーを近代的なスポーツにしたのはイギリスのパブリックスクールである。手を使わないとしたイートン校の流れを汲む。手を使うことを許したラグビー校のエリス少年が興奮のあまり「ボールを抱えたまま相手のゴールまで走り出した」ことからラグビーが生まれた。ラグビーはボールを前には投げられないが、思わず前に投げてしまったことからアメリカン・フットボールが生まれたという。次はどのようなフットボールが生まれるのか楽しみだ。

翌日のプレンサに「果敢に攻めたが、ゴールは得られず引き分けに終わった」とオルメドを評価するコメントが載っていた。バルセロナが再度首位に返り咲き、リーガ・デ・キトが2位に順位を下げていた。オルメドは相変わらず最下位をキープしている。ニックネームに違わず「サイクロン」のような激しい戦いを展開して欲しいものだ。

 

平成22年3月21日

須郷隆雄