エクアドル便り85号

のびのび山あいの湯

 

リオバンバ近くの温泉はバニョスの「聖母の湯」とばかり思っていた。ところがどうもリオバンバから南東10kmほどのところにあるチャンボ郡グアジャバンバにも温泉がありそうだ。バスの停留所で聞くと「アグアス・テルマレス(温泉)」と言うので間違いない。

8時のバスに乗る予定が寝過ごし、9時のバスになった。コンセプシオン教会の前を通ると、椰子の葉で何やら編んでいる。それも凄い人だかりだ。教会に捧げるもののようだ。今日は3月28日の日曜日。セマナ・サンタの初日である。この日はキリストがエルサレムに入場した日だ。市民が道を花や着ているものを敷き詰め、キリストを迎えたという。そのしきたりがここエクアドルでは椰子の葉の編み物になったのであろう。

グアジャバンバまで75セント、おんぼろバスだ。何時もとは違った風景が広がる。渓谷を渡っていく。郡都チャンボに30分ほどで到着。乗客は殆ど降りてしまった。バスはエンジンを止め、運転手も車掌も何処かへいなくなった。どうなるものか気にはなったが、教会前の公園を散歩する。夏雲が空を覆っていた。漸くバスが動き出す。乗客は4、5人だ。坂道をゆっくり登って行く。風が心地よい。ジャガイモ畑とトウモロコシ畑が広がる。舗装はされていない、でこぼこ道だ。雲が近い。三叉路で降ろされてしまった。「温泉は歩いて5分ほどだ」と言う。

  

    サン・フランシスコ温泉               トルーチャのレストラン

急ぐ旅ではない。ぶらぶらと坂道を登って行く。歩いている人は他には誰もいない。牧場主が「この道をまっすぐ行け」と教えてくれた。冷たい風と小川のせせらぎを肌に感じながら、村人に声を掛けながらのんびりと登って行く。廃屋のような家並みが続く。鶏が道路を渡っていく。「コケコッコー」と時を告げている。村人より鶏のほうが多そうだ。ラッパのような花が道端に咲いている。電線に雀らしき鳥が十数羽並んでいる。時間がゆっくりと流れる。それに併せて足取りも遅くなる。トルーチャ(鮎)のレストランのお兄ちゃんが話しかけてくる。「帰りに寄る」と約束する。まだ30分はかかりそうだ。牧場で牛がのんびりと草を食んでいる。虫に刺され、手が痒い。トラックのお兄ちゃんが「乗って行け」と声を掛ける。上り坂、歩いたら優に30分は越える距離だ。とても5分では行けない。親切なお兄ちゃんに助けられた。

ひなびた温泉だ。入湯料50セントを払う。「サン・フランシスコ温泉」と書いてある。3つのプールがあった。メインのプールは直接下から温泉が湧き出している。温度は34、5度、決して熱くない、むしろ温めだ。しかしその深さたるや、足が届かない。2m近くありそうだ。家族連れが多い。ジャリどもが喧しい。外国人は1人もいない村人の湯だ。首まで浸かり、のびのびと山あいの湯を茹で上がるほど堪能した。トルーチャの養殖場もある。それを食べさせてくれる。近くに雪を被った標高4711mのクビジネス山もある。自然と時間は豊富にある、掛け流しの「のびのび山あいの湯」だ。

温泉好きでは、日本人の右に出る国民はないだろう。一般庶民にも親しまれるようになったのは江戸時代からだという。上総掘りというボーリング技術の普及により、明治以降急速に増えた。近年は都市部にも温泉が増え、地域興しにも利用されている。温泉マークはその特徴を掴み、実にうまくデザインされていると思うが、磯部温泉発生説、油屋熊八発明説、ドイツ起源説など3説があるそうだ。1回目は軽く、2回目はゆっくり、3回目はさっと浸かって出るのが良いとされ、「温泉マークの湯気は左から短く長く短くなっている」と言われる。隠語として「さかさくらげ」とも呼ばれる。2003年ごろから[ONSEN]を世界の通用語にするという運動がある。「ゲイシャ」「サムライ」「カラオケ」に次ぐ日本の文化であろう。

「ぼっちゃん」「伊豆の踊り子」「暗夜行路」「金色夜叉」「津軽」など、小説に描かれた温泉は結構多い。「漂泊の俳人」種田山頭火がこよなく愛した由布院温泉近くの湯平温泉に「しぐるるや人の情けに涙ぐむ」という句碑が残っている。久住山系東の麓にある長湯温泉に椋鳩十の「合歓林(ねぶばやし)越えて夏鶯(かおう)の長湯かな」の句碑がある。

帰りがけ料金所を覗くと、大人1ドル、子供とTercera Edad(第三世代)50セントと記されている。第三世代とは老人ということだろう。入湯料を50セントしか払っていない。若いつもりでいたが、しっかり老人と見られたようだ。歩いて約束のお兄ちゃんのレストランまで戻った。「トルーチャ」と注文すると、釣竿を用意して「釣れ」と言う。2匹釣り料理してもらう。温めのビールも美味しい。グリーンの羽のコリブリがラッパの花の蜜を吸っていた。ビールにトルーチャは良く合う。そよ風に吹かれ、1時間も芝生で昼寝をしていた。目を覚ますと最早3時半。慌ててバスに乗る。

グアジャバンバはキチュア語で「緑の平野」という意味だそうだ。「旅に寝てのびのびと見る枕かな」という句があったが、山あいのひなびた温泉で、のびのびと昼寝つきのゆったりした時間を過ごすことができた。

 

平成22年3月28日

須郷隆雄