エクアドル便り87号

四月二十一日祭

 4月21日はリオバンバの独立記念日だ。シモン・ボリバルの独立運動に伴い1822年に独立した。リオバンバの創始は1534年8月15日と言われる。正式名称はサン・ペドロ・デ・リオバンバだ。市内を見下ろす4月21日公園には、リオバンバの創始から独立までのレリーフが残されている。隣がサン・アントニオ教会で、この一帯をローマ・デ・キトと呼ぶ。我が家のすぐ近くだ。因みにキトは12月6日、グアヤキルは10月9日、クエンカは11月3日が独立記念日で、エクアドルの祝日となっている。残念ながら4月21日はリオバンバ固有の祝日ではあるが、国の祝日ではない。エクアドルの独立記念日は8月10日である。

建国の父シモン・ボリバルはクリオージョとしてベネズエラのカラカスで、アメリカ大陸屈指の名家に生まれた。コロンビアとベネズエラ、エクアドル、パナマ4ヵ国をグラン・コロンビアとし、その初代大統領でもあった。シモン・ボリバルとサン・マルティンの名は南米独立運動の歴史から忘れることは出来ない。しかし共和制を目指すボリバルと立憲君主制を目指すマルティンはやがて袂を分かつ。革命のために全財産をつぎ込み、ボリバル家は破産した。やがて部下の将軍たちはボリバルを裏切り、権力と私財を蓄えていった。「革命の種子を播こうとするものは、大海を耕す破目になる」と述懐している。ラテンアメリカ統合の旗を掲げて戦ったボリバルの夢は、「見果てぬ夢」となった。しかしその200年後の今、ラテンアメリカ統合の機運が高まっている。奇しくもそのリーダー的存在はベネズエラのチャベス大統領である。ボリバルは「アメリカ合衆国は自由の名において、アメリカ大陸を災難だらけにしている」と言う言葉も残している。

  

4月21日公園レリーフ          シモン・ボリバル像

セマナ・サンタが過ぎ、町は静けさを取り戻していたが、又もや独立記念日に向け賑やかな日々が続いている。コンセプシオン広場では夜、「ビバ・リオバンバ」と称してコンサートが開かれた。身動きが出来ないほどの混みようだ。マイケル・ジャクソンの踊りやら、女性グループの歌など、ボリュームを最大限に上げ、観客も舞台に上がり、とにかく賑やかだ。雨がぽつぽつ降ってきた。これ幸いと、騒ぎから抜け出した。

 翌日、昨年同様、第18回ラテンアメリカ民族舞踊大会が体育館で催された。ウルグアイ、ベネズエラ、コスタリカ、ペルーが参加していた。ウルグアイはチャカレーラなどのフォルクローレだ。アルゼンチンを思い出す懐かしい踊りだ。ベネズエラは、町の若者が娘たちを口説く仕草を踊りにしていた。コスタリカはバンド演奏付きで、スペインのカタルーニャ地方らしき踊りだった。ペルーはアンデスの民族舞踊だ。国それぞれに特徴がある。

 民族舞踊とは、世界各地で踊られる土着の踊りの総称と言われる。日本における盆踊りだ。東洋の舞踊は一般に腕や手の動きが多く、西洋の舞踊は足の動きが多い。また、東洋では手を取り合わないが、西洋は互いに手を取り合い、相手の体に触れることも多い。しかし、イスラム文化の影響を強く受けたスペイン南部のアンダルシア地方のフラメンコは、男女が接近こそすれ、触れることはない。キリスト教文化圏とイスラム、ヒンズー、仏教文化圏の違いと言うべきかも知れない。ラテンアメリカには、先住民固有の舞踏やキューバのルンバ、チャチャチャ、マンボやブラジルのサンバ、アルゼンチンのタンゴ、それにアフリカとラテンのリズムが融合したアフロ・アメリカンなどがある。民族舞踊は宗教的儀礼の一部として発達してきたと言われる。大切なコミュニケーションの方法でもあったのだろう。

 オルメド公園ステージは大変な人だかりだ。人が集まれば売店も出る。興行師もやって来る。闘牛場では闘牛が行われる。キンタ・マカヒではロディオも行われている。マジョリスタ市場ではミス・マジョリスタのコンテスト、ミス・ガラパゴス第11騎兵隊コンテストもあった。昼も夜もドンチャラパッパと行進が続く。夜更けには町のあちこちで花火も揚がる。4月21日まではこの騒ぎが続きそうだ。

 4月21日がやってきた。前夜、事務所のマギーから電話があり、明朝7時に迎えに来るとのことだった。マギーとその親族に同行し、特等席に陣取った。天気晴朗にして8時開演だ。警察音楽隊を先導にクリカマ知事、サラサール市長、更に新ミス・リオバンバのヴェネッサ・サンチェスらが行進する。中等学校の生徒の行進が永遠と続く。その数の多さに驚く。セーラー服姿もあった。「日本人か」と聞かれ、よく見ると台湾国旗を掲げていた。息子や姪が通りかかると熱狂的な声援を送る。キト、クエンカ、そして隣県のアンバトとグアランダからも応援参加があった。最終行進は140年を超える歴史を持つマルドナド中等学校だ。午後2時まで、永遠6時間に及ぶパレードだった。退席する者もなく果敢に声援を送っていた。何ともはや、パレード好きな国民だ。リオバンバ独立戦争「タピの戦い」から今年は188年目である。中等学校80校、17、000人の生徒が参加し、2.2kmを行進する大イベントだった。

それにしても、シモン・ボリバルが掲げたラテンアメリカ統合という「見果てぬ夢」を、もう一度心に刻んでおきたいものだ。

 

平成22年4月21日

須郷隆雄