エクアドル便り88号

川の町ババオージョ

 

 ババオージョはリオバンバから175km、海抜8mのコスタにある。グアヤキルからは75km。人口13万人、リオバンバとほぼ同規模の町だ。ロス・リオス県の県都である。ロス・リオスと言うだけあって、川が多く湿地帯でもある。ババオージョは、カタラマ川とピタ川、サン・パブロ川が合流するババオージョ川の川沿いにあり、正に川の町だ。ババオージョ川はやがてダウレ川と合流し、大河グアヤス川となる。

 川面に沈む夕日と酸素補給、更にオルメド・ハウスを訪ねるためババオージョに向かった。タクシーを呼び、ターミナルに向かうが、リオバンバ独立記念祭に向けてのパレードに阻まれ動きが取れない。やむなくタクシーを降り、歩いてターミナルへ。既にババオージョ行きは満席だ。「グアランダ行きがある。そこで乗り換えて行けばいい」と教えられる。30分遅れでグアランダ行きに乗る。曇り空、坂道を登って行く。牧場に牛の群れ、時折リャマの群れ。チンボラソ山は麓まで雲が覆っている。パハだけの草原に変わる。地層がむき出しになっている。標高4000m、チンボラソ登山口を通過する。最早リャマはいない。ビクーニャの姿も見当たらない。雲が荒涼とした草原を這っている。隣の女性が音楽に合わせ歌っている。やがて下り坂、すり鉢のようなグアランダに到着した。町行くインディヘナの服装が巻きスカートからフレアな黒のポシェーラに変わっていた。

 改札の対応が悪い。嫌な気分でグアヤキル行きに乗り換えた。ひたすら下っていく。凄いガスだ。視界が閉ざされる。バナナに椰子、湿った空気に生暖かい風、熱帯だ。やがて平らな道が続く。水田が広がる。バナナ畑はない。稲穂が頭を垂れている。東南アジア風の高床式の住居が点在する。湿原地帯だ。白鷺の群れ、何処か日本の田園風景を思い出させる。隣の女性に教えられ、県庁前で下車する。最早3時だ。中心街まで10ブロックと教えられ、歩いて行く。熱い。汗が噴き出す。賑やかな町だ。しおからトンボが飛んでいた。モラのアイスをしゃぶりながらふらふら歩いていると中心街を通り過ぎてしまった。カテドラルでミサが行われていた。モダンな造りで、重厚さはない。向かいは市役所、その裏にババオージョ川が茶色となって流れていた。旅行案内所は閉まっている。土日は休みだそうだ。何のための案内所かわからない。市役所前のホテルを予約する。暫しベッドで疲れを癒す。クーラーがガタガタとうるさい。

 川沿いの魚市場で、なまず、鯉、テラピアなどの魚類の他に貝などが売られていた。大きなテラピアだ。「写真を撮りたい」と言うと、「俺も一緒に撮れ」と言って、テラピアを手に掲げてくれた。川沿いには水上生活者の住宅も並んでいる。川を渡ると街の雰囲気が一変する。夜は危険に違いない。子供たちが水浴びをしていた。夕日が空を染め川面に沈んでいった。川沿いのマレコン通り公園は恋の語らいの場となる。それにしても熱い。まだ30度を越えている。

 ホテルで川魚料理店を紹介してもらう。しかし見つからない。やむなく中華料理店に入る。「テラピアの煮魚が食べたい」と注文する。この暑さ、先ずはビールを注文するが「ない」と言う。店員に無理やり買ってきてもらう。チップをはずむとご機嫌だった。蒸したテラピアに長ネギの千切りとスープがかかった、実に美味しい味だった。満足し、ほろ酔い加減で、むっとする暑さと大変な人だかりのマレコン通りを通ってホテルに戻った。

  

    ババオージョ川                   オルメド・ハウス

 翌朝、朝食を取るため川沿いのマレコン通りに行ってみた。凄い人だ。渡し舟が引っ切り無しに行き来している。朝から魚料理を食べている。「デサジューノ(朝食)」と注文すると、芋を練って菓子状にしたものとコーヒーが出てきた。汗が噴出す。レモンジュースを追加する。ホテルに戻ると、フロント係のタテアナから「名前を日本語で書いてくれ」と頼まれる。「日本語には平仮名と片仮名、漢字の3種類の文字がある」と説明し、いい字が思いつかず「竪穴」と書いてやった。意味を説明するのは止めておいた。日本の知識は殆ど皆無に近い。なぜか電機メーカー「アイワ」だけを知っていた。

 オルメド・ハウスは近くとは聞いていたが、説明が要領を得ない。エクアドルの人は、物に書いて説明するということを知らない。タクシーを拾う。5ブロックほど先の川沿いで下ろされてしまった。渡し舟で向こう岸に渡る。建物は見えるが、門が閉ざされ入り口が解らない。近くの住民に聞くと「塀の脇から入れ」と教えられる。広大な敷地だ。しかし殆ど手入れがなされず、雑木林状態だ。鶏が2羽、出迎えてくれた。訪問者は誰もいない。鳥の鳴き声だけだ。ババオージョ川沿いの静かな佇まい、町の喧騒を忘れる空間だ。ホセ・ホアキン・オルメドが1人無言で立っていた。暫し腰を下ろし、ババオージョ川の流れを眺めていた。グアヤキル独立の英雄で詩人でもあったオルメドに思いを馳せ、「人もなし 川のせせらぎ 鳥の声 巨木にうずむ オルメドの家」と一歌、オルメドに捧げて帰る。

A Dios glorificar, Aqui yace el Dr. Jose Joaquin de Olnedo. (偉大なる神へ、ホセ・ホアキン・オルメドはここに眠る)

Fue Padre de la Patria, Idolo del Pueblo.(祖国の父、国民のアイドルであった)

Poseyo todos los talentos, Practico todos las virtudes.(才能と美徳を持って行動した)

と墓石に刻まれている。

 やぶ蚊が多くてたまらない。外には稲穂を垂れた水田があった。これから教会に行くというおばさんと川沿いの道をのんびり歩く。町の生活ぶりが良く解る。水上生活者も多い。黒人系も多い。異国にいながら、もう一つの異国に来たような感じすらする。橋を渡りマレコン通りに戻った。KFC(ケンタッキー・フライド・チキン)で昼食を取り、午後2時にチェックアウトし、タテアナに別れを告げた。

 アンバト行きのバスに乗る。グアランダでまたも乗換えだ。車掌に「グアランダに着いたら知らせてくれ」と頼んでおいたが、通り過ぎてから「グアランダはもう通過した」と言ってきた。何とも役立たずの車掌だ。慌てても仕方がない、アンバトで乗り換えようと胎を決める。すると、隣のオヤジが「何処まで行く」と聞くので「リオバンバ」と応えると、「前を走っているバスがリオバンバ行きだ」と教えてくれた。確かに見覚えのあるバスだ。車掌にその旨を話すと、責任を感じていると見えて、何やら連絡を取っている。ぬかるみの山道だ。スピードを上げ追いつき追い越そうとするが、なかなか追い越せない。30分後、やっとのことで追い越し、リオバンバ行きのバスに乗り込んだ。乗り換えの待ち合わせ時間もなく、結果オーライであった。しかし満席、最後部で立っていると、インディヘナのおばあちゃんが3人掛けを詰めて「座れ」と席を開けてくれた。「万事塞翁が馬」である。

「ピンチはチャンス」というが、行きも帰りも色々問題はあったが、いい体験をした。トラブルもまた楽しだ。普段見えないことが見えてくる。旅の醍醐味でもある。

 

平成22年4月25日

須郷隆雄