エクアドル便り89号
ケンちゃんの洗礼
「ヘンリのパドリーノをやってくれないか」と事務所のオルガに頼まれた。パドリーノとは何なのかすら解らない。どうも洗礼の時の代父のことのようだ。ヘンリを日頃ケンちゃんと呼んでいるが、今年は4歳になる。そろそろ幼稚園に入る年齢だ。入園前に洗礼を済ましておきたいようだ。
パドリーノは洗礼に立会い、神に対する契約の証人になる役割だ。立派に成人するまで物心両面からの援助が必要になる。親代わりだ。言うならば、ゴッドファーザーである。フランシス・コップラ監督、マーロン・ブランド主演の重厚な演技とニーナ・ロータのメロディーが聞こえてくるようだ。
「仏教徒で、この9月には日本に帰ってしまうが、それでもいいのか」と念を押しと、「それでもいい」と言う。「よし解った。カトリックではないが引き受けよう」と安請け合いをする。その後事務所の仲間に色々聞いてみると、格好金がかかりそうだ。洗礼のための洋服、花代、教会への謝礼、その後のパーティー代などだ。引き受けた以上は仕方がない。これもボランティアと覚悟を決めた。
洗礼という言葉はギリシャ語のBAPTISMAの訳で、もともとの意味は水に浸すとか沈めるというもので、水に沈めることは死を意味する。洗礼はキリストとともに死ぬということだ。つまり十字架と復活の主イエス・キリストに結ばれることを意味し、神の子になるということだ。幼児洗礼とか小児洗礼などがある。最近は略式化され、頭部に水を掛けることで済ましているようだ。似て非なるものに日本の初宮参りがある。赤ちゃんが無事に1ヶ月を迎えたことを産土神に感謝し報告する儀式だ。
パドリーノとケンちゃん 海軍服のケンちゃん
その後、何も言ってこない。5月1日の土曜日が洗礼の日だ。その月曜日に「洗礼の準備は出来たか」と聞くと、「牧師から仏教徒は駄目と言われ、姉夫婦に頼んだ」と言って、招待状を渡された。ほっとするやら、ちょっと残念な気もした。事務所のマギーと相談し、何かプレゼントすることにした。
プレゼントを持って、招待状に書かれていた事務所近くのレイ・デ・レジェス教会に向かった。日本人らしく案内どおり午後7時に到着した。凄い人だ。こんなに集まったのかと中を覗くと、結婚式が行われていた。オルガ関係者は誰も来ていない。カトリックの結婚式はどんなものかと眺めながら時間をつぶす。牧師が何やら話しかけている。「パラブラ」と言って、祝いの単語を求めている。歌が歌われる。参列者にせんべいのようなものを食べさせていた。結構リラックスした雰囲気だ。バージンロードに花びらが投げられる。参列者の1人になったつもりで、新婦に花びらを投げてやった。目が潤んできた。
漸くオルガ家族がやってきた。オルガの父親リカルドも奥さんを伴ってやってきた。その後2組の新郎新婦の挙式が纏めて行われた。カトリックの結婚式は概ね夜に行われるそうだ。日本では結婚式が夜に行われたという話は聞いたことがない。最早8時半だ。慌しく3組ほどの洗礼が行われた。ケンちゃんとパドリーノ夫妻、オルガ夫妻がロウソクを掲げ洗礼を受ける。リカルドも心配そうに傍らに付き添っていた。頭にピッチャーのようなもので水をかけ、終わりである。実に簡単だ。これで神の子になれたのであろうか。9時を回っていた。
雨がぽつぽつ降ってきた。近くのパーティー会場に移動した。こんなにいたのかと思うほどの人数だ。ケンちゃんが儀式を終えた開放感から、会場を仲間の子供たちと駆け回っている。オルガ夫妻とパドリーノ夫妻の挨拶があり、エクアドル特有の料理が運ばれてきた。ご飯の上に豚の足が載っていた。豚足なのだろうが、これだけは遠慮した。ボリュームを上げダンスが始まる。エクアドル独特の足を小刻みに踏む踊りだ。司会者にそそのかされ、輪の中に入る。踊りは滅茶苦茶、「同じアホなら踊らにゃそんそん」とばかりに盛り上げ役を買って出る。リカルドも腰を振り振り年甲斐もなく頑張っていた。酒が注ぎ回られる。何だか訳の解らない味だ。次第に悪酔いしてくる。最早1時だ。朝方までこの騒ぎは続くという。キリスト復活の日曜までは続けざるをえないのだろう。とても付き合いきれない。オルガ親子に見送られ雨のぱらつく我が家へ帰った。
パドリーノの役は果たさなかったが、後日写真を額に入れプレゼントした。ケンちゃんは私とちょうど60歳違う戌年だ。戌年の守り神「阿弥陀如来」のお守りを、いわれを説明し渡した。
平成22年5月1日
須郷隆雄